2017年8月14日月曜日

自分(寿命)の果て


肯定
 ごめんね。今回は前回飛ばしてしまった。『自分(寿命)の果て』についてだけど、大丈夫?


テツガクちゃん
 はい、お願いします。

 それで、自分(寿命)の果てはありますよね?


肯定
 それが、『ないかもしれない』と僕は思うんだよね……。
 なぜなら、『死後の世界』はこうかもしれないから。
 
 あなたは、赤ちゃんに戻り新しい人生を歩み、それをずっと繰り返していく。

 それが人生の姿かもしれない。
 そうなると人生は永遠で、自分の果てすらない。

 そして、世界の果てもない。


テツガクちゃん
 え――っ!! そうなんですか!?
 ちょっと信じ難いですが……。


肯定
 だよね。だって、誰も『死後の世界』を経験したことがないからね。

 これは量子力学的な話なんだけど、僕達にとって死後の世界は『観測したいけど、観測できない世界』なんだよ。
 観測者がいるから、今の世界は存在してる。

 そうだな……。

 例えだけど、僕が死んでしまって、今のこの世界を僕が観測できなくなったら、むしろこの世界が僕にとっての『死後の世界』。
 つまり、『観測したいけど、観測できない世界』になってしまうんだよ。


テツガクちゃん
 ……???……。
 えっと……つまりどういうことですか?


肯定
 僕達は、今生活しているこの世界が、全てだと思っているよね?
 でも、本当はここが『死後の世界』なのかもしれないよ?

 それを観測できているから、気づかないだけで。
 
 生きていると思うから『死後の世界』を考える。
 そして、その『死後の世界』を観測できないから、『僕達は生きている』と思う。
 しかし、既にここが『死後の世界』で、別の世界を観測できないから、こことは違うところに『死後の世界』がある、と思っているのかもしれない。

 

テツガクちゃん
 な、なるほど……そう言えば、そういう話の映画がけっこうありますよね。実はココが死後の世界という映画。


 確かに、そう言われると……なんか私が今生きてるのか、自信がなくなってきました。


肯定
 いやいや、自信をなくさないで!!

 ただ、少し不思議じゃない?
 昔、テツガクちゃんが言った。なぜ人は『死後の世界』の存在をそもそも考えるのか?
 だって、観測できないなら、『死後の世界』はないかもしれないじゃない?
 
 それとこうも言ったよね?
 人は『死後の世界』を想像して、そこで生きようとしている。
 天国や地獄の概念がそうで、そこで罰を受けるとか、永遠の幸せがあるとか考え、そこで生活しようと考える。

 でも、本当の意味での死とは、生きるとは間逆の性質を持つはずだから、『何も起こらない』はずなんだよ。
 観測できないから何も映らない世界。

 なのに僕達は『死後の世界』の映像を作っている。
 それが不思議だよね? と僕に教えてくれたじゃない。
 
 そして、僕達はこういう会話をして、それをお互い観測している。
 だから、僕達は生きている、と僕は信じているよ。

 そう信じれるなら、それで十分じゃない?
 この世界がどこでも。


テツガクちゃん
 そうでした。

 場所がどこでも生きようとするのが、人の宿命かも知れない、という話をしましたね。
 そう考えると何かを観測できている限り、そこが死後の世界でも関係ないですね。
 
 でも、どうして『永遠に観測が続く』と考えることができるのですか?
 死後を『観測したいけど、観測できない』からですか?


肯定
 えっとそれは、また長くなりそうだから、次へということでいいかな?






それでは、また次の機会にお会いしましょう。


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グリフィン理論

  いつだって10月だし11月だし3月なんだ。  このグリフィンさんの教えは贈り物。  誰だってジェイソン・ボーンだしジェームズ・エドワーズ。  ロバート・アンジャーでローン・レンジャー。  そして、ネオでもある……忘れているだけで。