2020年5月27日水曜日

止まっていないよ


 人生の中で立ち止まって見える、人影。
 それは、光速を超えた残像かもしれません。
 他の誰かには、止まっているように見えて。
 だけど、本当は、とんでもない時代からやってきた残像。
 ですから、止まっていないのでしょう。
 例え、そう感じたとしても。



2020年5月26日火曜日

平面に等しく平等に偏重で不公平


 平面に等しく平等に偏重で不公平。
 それを、ドラえもんさんの中に見ました。
 それは、公正や公平とは程遠く、偏重で不公平。
 ですが、平等にある、心の情でした。



2020年5月25日月曜日

才能放棄


 なんでもできる、特別な才能。
 それは、力の象徴、ミサイルに似ている。
 それに頼っても頼らなくても。
 自分が為したいことは為せる。
 それならば、象徴的な才能は……。



2020年5月20日水曜日

ルーシーのように


 憧れの森の中。
 歩いているけど、眼と目は閉じたまま。
 そんなルーシーさんの秘密じゃないと、出逢えない何か。
 確かにそれは、今、この瞬間にあり。
 それに気づけるか。
 その行方は『Mr.ジョーンズ』だけが知る。



2020年5月19日火曜日

やる気なんかゴミ箱に


 やる気があれば、様々な『ホショウ』があるわけでもなく。
 成功する理由も見える景色が変わる理由も。
 やる気にはないのだろう。
 それならば、そんな物はゴミ箱へ。
 それよりも、しがらみを解いた奥にある、アレを手に。 



2020年5月18日月曜日

あまりにも、平面に等しく平等すぎるから


 不平等を謳い訴える時。
 それは、本当に不平等だから問題なのではなく。
 恐ろしいほどに、平等だから問題なこともある。

 ―テキトウ・テツガク―



2020年5月13日水曜日

公正で公平


 平面に等しく平等な景色は日常の石。
 だけど、公正で公平な景色は幻想だ。
 もし、それが目の前に現れるとしたら。
 それは、人間が人間でなくなる時だと思います。



2020年5月12日火曜日

セオリーの中のセオリー


 セオリーの中にもセオリーがあり。
 様々なセオリーが重なった、定めの層。
 その重さで、目的が歪んでしまったら。
 そんな時は、セオリー無視する。
 それも一つのセオリーかもしれません。 



2020年5月11日月曜日

才能がないことに気づける才能


 才能がないことに気づける、それも才能で。
 その才能がなくても、何かをやってみたい。
 そう当たり前に思える。
 きっと、それは誰もが持っている『当たり前』。
 それさえあれば、他には何も。



2020年5月10日日曜日

ヤマト魂


 『ヤマト魂』なんてものがあるとしたら。
 きっとそれは、事なかれ主義の怠惰太子。
 限りなく中核でまともだぴょん。
 おい、私を誰だと思っているのだ。
 私こそは……。


2020年5月6日水曜日

第八感


 もし、第七感が思考を読み取り、理解しようとする力であれば。
 第八感は当たり前を理解する力だと。
 私は"個人的に"思います!



2020年5月5日火曜日

平等と公平


 平等と公平。
 そこには、昼と夜ほどの違いがありそうです。
 例えば、映画館です。
 平面に等しく並ぶ平等な椅子と偏りなく並ぶ公平な椅子。
 今では、平等な椅子が並ぶ映画館は少なくなりましたね。



2020年5月4日月曜日

見えたものしか


 見えたものしか、描けないし、語れない。
 そんな我がままな愚か者が、流行に乗れないこと。
 それは、当たり前に然る当然で。
 だけど、本心と本音に乗る、 その飛び方は浪漫飛行。
 本当のことは、本当じゃないと……。



2020年5月3日日曜日

客観的という幻想


 客観的な視点。
 きっと、それは錯覚の幻想でしょう。
 なぜなら、主観以外の窓で物事を覗く事。
 それは、誰にとっても平等に困難なことですから。
 客観的な視点、それは詐欺師が描いた幻です。 



ワガママ・クイーン


無関心は希望

 好きの反対は無関心。  そんなたわ言、誰が言ったのか知らないが。   今の私からすれば無関心は希望。  今まで気づけなかった、その未知は。  愛しの故郷、待ちきれない今は夢の今。