肯定
またまたごめんね。
なぜ『観測は永遠に続く』と思うのか? ということだけどね。
まずは漠然と、人が誰かに教わったわけでもないのに、『死後の世界』を考え生きようとする姿勢から、なんとなく「ああ、人生は永遠に続くんだな」と思ったんだよね。
この人生が終わっても別の人生が始まる。
それが同じ人物の人生なのかはわからないけど、やっぱりまた人生の旅に出かけるんじゃないかな?
だから、人は生きているのに『死後の世界(新しい世界)』を考え、そこでも生きようとする。
本来、生きると反対の死という現象は、『何も起こらない無の状態』のはずなのに。
だけど、これまでずっと、死後という新しい世界を作って、そこで何かしようと無意識に考えてきた。人の歴史がね。
なぜ、人は今生きているのに、『死後の世界』を考えるのか?
それは人生の観測が永遠に続くものだから、常に新しい世界(死後)を無意識に意識し、その世界について考え、そこで生きようとしてしまうのではないか?
そう考えれば、なぜ、人は生きているのに『死後の世界』を考えるのか? ということを説明できる、と考えたんだよ。
テツガクちゃん
もし、人生が永遠に続くなら、なぜ生きてる間に『死後の世界(新しい世界)』を想像し、そこで生きようとするのか? という疑問の答えにはなりますね。
ですが、どうしても続くとは思えませんよね……。
肯定
だよね。それに決定的なことをいうと、量子力学同様に『観測していない状態の世界』を観測したいけど、それは観測できない世界。
生きている間に『死後の世界』を観測し、それを誰かに伝えたいけど、今それは難しいよね?
だから、それが出来ない間は、『人生は永遠に続く』と考えてもいいんじゃないか? と今の僕は考えているよ。
テツガクちゃん
確かに、『死後の世界』を観測出来ない以上は、『人生は永遠に続く』と考えてもいいと思いますが……。
話は全く違うのですが、肯定さんが前回言った。本当はここが『死後の世界』かもしれない。だから、私達は既に死んでいるのかもしれない、と考えると、怖くありませんか?
更に、その人生が永遠に続く……そう考えると、私はほんの少し恐怖を感じます。
あっ、肯定さんの思考じゃなくて、人生が永遠に続くことなどが怖いんです。
肯定
いいえ、怖くないよ。
だって、生きていようが死んでいようが、何かを感じ観測できるなら、それでいいじゃない?
これテツガクちゃんの口癖だと思うけど、うつったかな?
場所が死後の世界でも現世でもどこでもいい。
何かを感じ観測できる場所が僕達の世界。
大事なのは、そこで『あたなが何をするか?』ということ。
そこに場所は関係ない、と僕は考えるから。
それに僕にはテツガクちゃんがいる。
映画『スタンド・バイ・ミー』じゃないけどさ。
夜の闇が あたりを包み
月明かりしか 見えなくても
ぼくは 怖くない 怖くはないさ
君がそばに いてくれるなら
という心境だよ。
テツガクちゃん
凄く恥ずかしいですが……そのお言葉、ありがとうございます。///
確かに、自分が今いる場所より、そこで『何をするのか?』ということが大切ですね。
それがはっきりしていれば、怖くないですね。
肯定
だよね。しっかり『自分の羅針盤』を持っていれば、どこにいても大丈夫。
あっ、そうだ。誤解がないように言うと、『ミクロな人生』には限りがあると思うよ。おそらく。
ただ、『マクロな人生』はどうだろうか? という話なんだよ。
『世界の果て』の話と同じで、自分(寿命)の果ての先に新しい世界(人生)が待っているのではないか? という考えなんだよ。
テツガクちゃん
それは『輪廻転生』という考えですよね。
世界の果ての話で、「地球は丸いから『世界の果て』はなく、またスタート地点に戻る」と言いましたよね?
これが『輪廻転生』のヒントかもしれませんね。
地平線や水平線を追っても、その果てには永遠に辿り着かず、スタート地点に戻ってしまう。
そこから、人生は永遠に繰り返すのではないだろうか? と考えたのかもしれません。
そう考えると、球体は果てがなく永遠に続く、神秘的なものですね。
肯定
そうだね。その神秘的な球体の上で生活する僕達にも、やっぱり果てはないのかもしれない。
果てを知りたいなら、果てを観測しないといけない。
だから、僕は『人生は世界の果てを知る旅』と言うんだよ。
それを観測できた時に永遠はなかった、と決めればいい。
でも、それを観測できない間は、永遠を信じてもいいんじゃないかな?
まだ、ぼんやりとした感じでしか言えないけど、人生の観測という人生の旅は永遠に続く……かもしれない? それを信じれば。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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