同調や協調と共感。似ているようで、実際は違うと私は考えています。
漢字に注目すると、同調や協調は『調える』とあります。しかし、共感は『共に感じる』と書きます。
ですから、共に同じものを感じれたら、それは共感と呼べると思います。結果はどうあれ。
テツガクちゃん
肯定さん、前回「同調はしないけど、共感できるように精一杯つとめる」と言いましたよね?
同調と共感について、どういう捉え方をしているのですか?
肯定
そうだね。
まず、同調や協調という漢字に注目してみて。
二つとも『調える』という漢字がついてるよね?
同じになるように調えるから同調。
協力できるように調えるから強調。
そんな感じで、僕は勝手に捉えていてね。
でも、共感は『感じる』ということ。
共に感じれたら、それが共感だと思うんだよ。結果はどうあれね。
テツガクちゃん
なるほど、合わせられるように『調える』ことと、共に『感じる』という捉え方ですか。
それいいですね♪ 私もそう捉えてみます!
ですが、なぜ結果はあまり重要ではないのですか?
例えば、同じ映画を観た時、その感想が違ったら、それは共感したと言えないのではないでしょうか?
肯定
テツガクちゃんの言いたいことわかるよ。
同じ気持ちを感じれないと、それは共感と言えないのでは? ということだよね。
もちろん、そういう考え方もいいと思う。
それで、僕にとっての共感はね。
『一緒に同じ映画を観てくれた段階』で、それはもう共感なんですよ。
テツガクちゃん
えっ、そんな簡単なことでいいんですか!?
だって、ただ一緒に映画を観ただけですよ!?
それだけでいいんですか!?
肯定
まあ、簡単なことに感じるかもしれないけど、ちょっと想像してみて。
テツガクちゃんに10人の友達がいて、みんな好きな映画もバラバラ。その10人から別々のお勧め映画を紹介されたらどうかな?
けっこう大変じゃない?
そこにあまり興味がない映画とかも混ざっていたりしたら。
テツガクちゃん
た、たしかに、一度に10本を見るのは辛いですが……。
肯定さんと観る1本くらいなら……。
肯定
ありがとうね。
でも、1本でも10本でも、その差は関係ないんだよ。
自分が知らない世界に興味を持つことって、実は凄く大変なことだと思う。
一人一人が自分の世界を持っているから、その知らない世界に興味を持って、同じ時間を過ごしてくれた段階で、僕にとっては共感なんですよ。
僕とテツガクちゃんは、もうずっと共感し合えている仲だから、それは当たり前のことで気づかないかもしれないけど、常に共感しながら同じ時間を過ごしている。
だから、こういう話ができるんだよ。
テツガクちゃん
相手に興味を持つことが共感ですか。
たしかに、私にとって肯定さんは凄く興味深いです。
ですが、それは当たり前のことで、特に意識していませんでした。
これが肯定さん流の共感ですか。
相手に対して興味を持ち、同じ時間を過ごすこと。それが共感。
肯定
僕の勝手な『共感』に対するイメージだけどね。
相手に合わせる同調や協調は、僕にはできないけど、相手を知ろうとする共感は精一杯できるようにつとめる。
だけど、その結果は大目にみてくださいね、という感じですね。
テツガクちゃんは、僕よりバリバリ共感できているよね。
どんな話題でも対応できるし、何事にも興味津々で大きな好奇心の持ち主だな、っていつも思うよ。
テツガクちゃん
ありがとうございます。
そこまで言って頂けるなんて……照れますよ!
「同調はしないけど、共感できるように精一杯つとめる」
素晴らしいですね!
私も目指してみよう、と思います。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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