2018年2月22日木曜日

同調や協調と共感は違う


 同調や協調と共感。似ているようで、実際は違うと私は考えています。
 漢字に注目すると、同調や協調は『調える』とあります。しかし、共感は『共に感じる』と書きます。
 ですから、共に同じものを感じれたら、それは共感と呼べると思います。結果はどうあれ。 




 



 
テツガクちゃん

 肯定さん、前回「同調はしないけど、共感できるように精一杯つとめる」と言いましたよね?
 同調と共感について、どういう捉え方をしているのですか?


肯定
 そうだね。
 まず、同調や協調という漢字に注目してみて。
 二つとも『調える』という漢字がついてるよね?

 同じになるように調えるから同調。
 協力できるように調えるから強調。
 


 そんな感じで、僕は勝手に捉えていてね。
 でも、共感は『感じる』ということ。
 共に感じれたら、それが共感だと思うんだよ。結果はどうあれね。


テツガクちゃん
 なるほど、合わせられるように『調える』ことと、共に『感じる』という捉え方ですか。
 それいいですね♪ 私もそう捉えてみます!

 ですが、なぜ結果はあまり重要ではないのですか?
 例えば、同じ映画を観た時、その感想が違ったら、それは共感したと言えないのではないでしょうか?


肯定
 テツガクちゃんの言いたいことわかるよ。
 同じ気持ちを感じれないと、それは共感と言えないのでは? ということだよね。
 もちろん、そういう考え方もいいと思う。

 それで、僕にとっての共感はね。
 『一緒に同じ映画を観てくれた段階』で、それはもう共感なんですよ。


テツガクちゃん
 えっ、そんな簡単なことでいいんですか!?
 だって、ただ一緒に映画を観ただけですよ!?
 それだけでいいんですか!?


肯定
 まあ、簡単なことに感じるかもしれないけど、ちょっと想像してみて。
 テツガクちゃんに10人の友達がいて、みんな好きな映画もバラバラ。その10人から別々のお勧め映画を紹介されたらどうかな?
 けっこう大変じゃない? 
 そこにあまり興味がない映画とかも混ざっていたりしたら。


テツガクちゃん
 た、たしかに、一度に10本を見るのは辛いですが……。
 肯定さんと観る1本くらいなら……。


肯定
 ありがとうね。
 でも、1本でも10本でも、その差は関係ないんだよ。
 自分が知らない世界に興味を持つことって、実は凄く大変なことだと思う。
 一人一人が自分の世界を持っているから、その知らない世界に興味を持って、同じ時間を過ごしてくれた段階で、僕にとっては共感なんですよ。

 僕とテツガクちゃんは、もうずっと共感し合えている仲だから、それは当たり前のことで気づかないかもしれないけど、常に共感しながら同じ時間を過ごしている。
 だから、こういう話ができるんだよ。


テツガクちゃん
 相手に興味を持つことが共感ですか。
 たしかに、私にとって肯定さんは凄く興味深いです。
 ですが、それは当たり前のことで、特に意識していませんでした。

 これが肯定さん流の共感ですか。

 相手に対して興味を持ち、同じ時間を過ごすこと。それが共感。


肯定
 僕の勝手な『共感』に対するイメージだけどね。
 相手に合わせる同調や協調は、僕にはできないけど、相手を知ろうとする共感は精一杯できるようにつとめる。
 だけど、その結果は大目にみてくださいね、という感じですね。

 テツガクちゃんは、僕よりバリバリ共感できているよね。

 どんな話題でも対応できるし、何事にも興味津々で大きな好奇心の持ち主だな、っていつも思うよ。


テツガクちゃん
 ありがとうございます。
 そこまで言って頂けるなんて……照れますよ!

 「同調はしないけど、共感できるように精一杯つとめる」
 素晴らしいですね!
 私も目指してみよう、と思います。






それでは、また次の機会にお会いしましょう。



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 多くの人は砂漠でオアシスを探している。  平和ってオアシスを信じて、求めて彷徨う。   隣にアマゾンがあっても、砂漠の中で探す。  今、本当に欲しいもの、ITを忘れかけながら。  砂漠のオアシスなのか、豊かな水源があるアマゾンなのか。