『経験をしないと語れない』と言うのなら。
私達には戦争について語る資格はありません。
戦争を語るために戦争をする、そんな落とし穴に落ちる必要があるのでしょうか?
肯定
落とし穴に落ちないと、その底がわからない。
それは本当だろうか?
僕達には想像力という魔法がある。
別に落とし穴に落ちなくても、その底を想像することはできる。
それは本当の落とし穴の底ではないけど。
そんなことはさ――。
テツガクちゃん
トタン屋根の上ですね!
真実か偽りか、そんなことは本当はどうでもいい幻。
真偽を天高く、遠い彼方へ投げる。
代わりに、自分が信じられる義。
その唯一無二の信義を手の中の此方で握り締める。
そういう信義の方が大切なのかもしれません。
肯定
大切だね。
学校を卒業しないと、学校に文句を言えない。
投票しなければ、政治に文句を言えない。
もし、そうであるのなら、戦争を知らない僕達は戦争を悪く言えない。
なぜなら、戦争を経験していない僕達にそれを言う資格などないのだから。
戦争はしない方がいい。
そう語るために戦争をする。
果たして、これでいいのだろうか?
もし、戦争だけが経験もなく語ることが許されるのなら。
他の事とは何が違うのだろうか?
ガクちゃんはその違いを知っている?
テツガクちゃん
私もわかりません。
ですが、私ならそんな違いはトタン屋根の上ですね。
きっと、違いなんてないと思います。
ですが、見える人には見えるのかもしれません。
肯定
なるほど、見える人には見える、そんな違いという幻か。
だけど、僕達には落とし穴に落ちなくても、底を想像する力があるのに。
なぜ、それを使わないだろうか。
というより、それを使うことが悪いことのように言われてしまうのだろうか?
実体験主義の旗を掲げる詐欺師が語る。
経験のないものには何も語れない。
その合言葉は薄いラベルだ。
なぜなら、『経験しないという経験』を見失っているから。
何の経験もないことだって、立派な経験なんだけど。
それをあざ笑う経験が、何かを語れるほど立派な経験なのだろうか?
テツガクちゃん
それでは、その薄いラベルが隠している刻印を覗いてみましょう。
きっと、最初から気づいている事実と出会うと思いますが。
あえて、それを覗いてみましょう。
そうすれば、詐欺師がどうしてその事実を隠したかったのか。
それがわかるかもしれません。
経験というアクセサリーより、興味というレンズを関心で覗きましょう。
肯定
そうだね。興味を関心で覗く。
そういう気持ちの方が大切なこともあって。
別に、実体験主義の旗を掲げなくても。
いつか、その詐欺師の心理がわかるかもしれないね。
僕達も同じ詐欺師だから。
だけど、今はまだわからない。
あなたはわかりますか?
もし、わかるのなら誰か、『Mr.ジョーンズ』な僕達に教えてください。
なぜ、経験こそが全てなのか。
なぜ、想像力で何かを見たり語ったりしてはいけないのか。
なぜ、経験しない経験が見えないのか。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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