2020年6月15日月曜日

実力という霧


 学校というおとぎの国の外。
 もう、そこには、実力という幻はありません。
 複雑な計算式ではかる、実力。
 それでは、単純過ぎる事実は掴めません。
 



 

テツガクちゃん
 実力という霧が都を呑み込んでいく。
 歪んだ都の影は、そのまま朧幻郷に変わる。

 今、その昔話が直ぐ隣まで近づき。
 その距離感は、影のような距離感。

 そんなことに気づいてしまいました! 私!

 
肯定
 もう既に、その影の中かもしれないね。
 僕達の目の前の景色は、朧幻郷に変わってしまったのかも。
 まるで、フィクションのように。
 唐よりも昔にさ。

 何事も数値化して、全てをはかろうとする。
 実力至上主義。

 だけど、その実力をはかる複雑な計算式。
 それで、欲しい結果が得られるほど。
 目の前の景色は、複雑にできていない。

 もっと、単純だね。


テツガクちゃん
 単純ですね。

 チャンピオンの旗は一つだけ。
 ですから、チャンピオンになれるのも一つだけ。
 実力という蜃気楼の中に、オアシスはありません。

 それは、誰もが本当は知っています。
 ですが、知らない畑を覗く時。
 どうしても、その蜃気楼に頼ってしまう。

 目の前の畑のこと。
 それを理解しようとせず。
 よくわかりもしない、蜃気楼にすがる。
 それは、人として当たり前に然る、
当然のことです。

 ですが、やっぱり。
 実力なんていう力、それはありません。
 もし、本当にあるのだとしたら……。


肯定
 そろそろ、『誰にでもわかる、実力のあげ方』という本で。
 一つしかないチャンピオンの旗。
 それを、全ての読者の手に届けているだろうね。


 語るには優しく。
 説くには難しい。
 その実体は、存在などしない幻だから。

 昨日まであった実力。
 それが、今日にはなくなって。
 明日には倍になって戻ってくる。

 そんなはずがないだろう。
 あるわけないだろう。

 だけど、そんな錯覚が見えてしまう。
 様々な覚りが錯じっていくから。
 実力という幻が存在するように錯覚する。

 それは、当たり前だね。
 学校というおとぎ話の世界。

 そこから、旅立ったのだから。


テツガクちゃん
 そうですね、そのおとぎの国から来たのであれば。
 仕方ありません。

 ですが、私達が知らないことを理解できたのは。
 学校の先生や誰かが、教えてくれたからではありません。
 もちろん、学力や才能などの奥、実力のお蔭でもありません。

 私達には最初から。
 知らないことを知ろうとする。
 素人な『Mr.ジョーンズ』の欠片。
 それと、知らないことを理解できる、当たり前があった。

 ですから、学校の先生の話も理解できるようになりますし。
 誰かの話にも共感できるようになります。

 それらは、実力なんていう。
 よくわからないものではなく。
 最初からあった、ただの当たり前です。


肯定
 最高な当たり前だね。
 だけど、何かを知っていくうちに。
 素人から玄人に歪んでいく。
 そのまま、誰かが作った幻想にすがりだす。

 それも当たり前。

 だから、何度でも言う。
 実力なんてものは幻想だ。
 それは、『存在と同時に存在しない』。   

 なくても困らないし、あっても助からない。
 チャンピオンの旗は一つ。

 それを掴むのは、実力者ではない。

 それを掴む者。
 その答えは永遠にわからない、未知者だろう。

 もし、今、わかることがあるとしたら。
 知ったふりをして、玄人のふりをしていると。
 未知と無知の間にある、恐怖に似たどこかに落ちるかもしれない。


 それくらいだろうね。
 

テツガクちゃん
 そんなところですね。

 わからないことがわかっている。
 そう、目の前の未知に向かってに答える、素直さ。
 その当たり前さえあれば、理解できないことはないのでしょう。

 理解できないことが理解できている。
 そんな『Mr.ジョーンズ』ですから。
 
 知っているふりをした、玄人な『Mr.G』とは違う。
 そんな景色を見ることでしょう。

 霧に呑み込まれた、朧幻郷。
 その外の景色だって、覗けるはずです。

 あなたが覗くのはどんな景色でしょうか?







それでは、また次の機会にお会いしましょう。












0 件のコメント:

コメントを投稿

グリフィン理論

  いつだって10月だし11月だし3月なんだ。  このグリフィンさんの教えは贈り物。  誰だってジェイソン・ボーンだしジェームズ・エドワーズ。  ロバート・アンジャーでローン・レンジャー。  そして、ネオでもある……忘れているだけで。