地球が真っ平らだと信じる人。
それを笑う人。
だけど、その笑う人すら平等に騙される。
映画館の銀幕に映った、影という騙し絵に。
誰もそれが平面だと気づきもしないだろう。
映し出された銀幕スターですら。
肯定
人の感覚と覚えほどいい加減で。
あてにならないものはない。
騙し絵に惑わされ。
見えないものが見えたり。
その逆に、描かれているものに気づけなかったり。
僕達は、定めが統治し、惑わす星。
定治惑星に住んでいるのだから。
それも詮無きこと。
そう、僕は思うよ。
テツガクちゃん
そうですね、詮無きことかもしれませんね。
惑わされる人だから。
三次元の中に二次元を見て。
二次元の中に三次元を見る。
そんなことは、よくあることですね。
洞窟に囚われた人のように。
肯定
まさしく、僕達は洞窟に囚われた人だね。
洞窟に映った影、聞こえた声から。
洞窟の外には誰かがいる。
そう思ったが、誰もいなかった。
立体の中に平面を見たり。
平面の中に立体を見る。
そんな人が地球は立体的な球体だった。
そう説いても、それは説得力の欠片もなく。
疑問符がとり憑く。
テツガクちゃん
とり憑いてしまいますね。
もし、宇宙の外からこの宇宙を見た時。
この宇宙が、どこかの映画館に映し出された映像だとわかったら。
また、平面説に戻るのでしょうか?
さらに、その映画館の映像を中心に。
その外の世界が活動していたら。
再び、天動説に戻るのでしょうか?
視点次第で変わっていく、印象。
いい加減であてにならない感覚。
積み重ね歪み錯じっていく覚え。
そう、わかりきっているはずなのに。
それでも――。
肯定
よくわからない、知らないこと。
それを知ったかぶりする時。
知らない誰かの話を信じきってしまう。
だけど、熱心にそれを崇拝しても。
やっぱり、何もわからないことすらわからず。
それは、平面に等しく平等にわからない。
信じきっていた、あの誰かすら。
僕達が『生きている』と感じている。
今、この瞬間の実体などわかりやしない。
それは、洞窟に映る、影という騙し絵だから。
本当は、既に死んでいたとしても。
僕達が今、この瞬間に生きている。
そう信じるのなら。
例え、その覚えが、今という銀幕に影写機が映し出した影だとしても。
それに気づかず、僕達は騙され錯覚するだろう。
その錯じった覚えに。
影が騙し絵だとわかっていても。
惑わされてしまう。
もし、その深淵に理由を求めるとしたら。
定治惑星に住む僕達だから。
そんなテキトウな理由を答える。
惑星は星を惑わしてこそ、惑星だろうから。
惑わされる僕達も星のよう。
テツガクちゃん
星のようですね!
ですから、これからも、このまま。
様々なことに惑わされながら、廻り続けましょう。
私達の感覚と覚えは、いい加減で、あてにならない。
そんなステキな事実と共に。
最後まで、その事実を忘れることなく。
在り続けながら。
知らない誰かが決めた。
よくわからない事実に振り回されることなく。
この曖昧でいい加減でテキトウな感覚。
それをあてにせず、ただ信じる。
どうせ、信じるのであれば。
自分が決めたことを信じましょう。
真っ平らな地球。
そこに平等はあっても、公平公正などありません。
歪んだ騙し絵が何かを描いても。
それは、平面に等しく、ただの線です。
それでは、公平も公正も描けません。
ところで、あなたには地球はどう見えますか?
映画館の銀幕に映る映像も。
それを夢中で観ている時、それが平面だと意識しないように。
立体的に見えた、あの地球。
それも、どこかの銀幕に映し出された。
平面の映像なのかもしれません。
ただ、ほんの少し問題なのは。
騙し絵に惑わされる私達には。
その実体に気づけないということです。
本当は、銀幕スターなのかもしれませんが。
そのことに気づけない、惑わされた星なのかもしれません。
そう、気づいても。
まだ、あなたは平面説を笑い。
どこの誰が唱えたのか、わからない。
立体説を信じますか?
そう自分が決めたのなら。
最後までそれを信じましょう。
例え、それが笑われる日が来たとしても。
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それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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