肯定
テツガクちゃん、『地動説』と『天動説』という考え方を知っているかな?
テツガクちゃん
もちろん知っていますよ。
『地動説』は太陽を中心に、地球を含む惑星が動いている、という考え方で、『天動説』は地球を中心に、太陽を含む他の惑星が動いている、という考え方ですよね。
肯定
そうそう。
昔は『天動説』が信じられていたみたいだけど、今は『地動説』が信じられているよね。
でもね。これがまた変わる可能性があるとしたら、どうかな?
テツガクちゃん
またまた、ご冗談を。
天動説に戻るのは難しいと思いますよ?
地球が太陽の周りを公転している事実をどう説明しますか?
肯定
『世界の果て』の話でしたように、もしこの宇宙の外に別の世界があるとしたら、その世界は僕たちの宇宙を中心に動いているのかもしれない。
それで、この宇宙を中心に外の別の世界が動いているなら、僕たちの宇宙は太陽系の太陽と同じ役割になるよね。
だから、広い視点では地動説ではなく、天動説と言えると思わない?
テツガクちゃん
なるほど、そういう話ですか。
マクロな視点で考えると『地動説』から『天動説』になるかもしれない、と言うことですね?
でも、宇宙の外の世界のことは、まだわからないですよね。
もっと身近な感じで、『天動説』にすることはできませんか?
肯定
もちろん、出来ますとも。僕は肯定テツガクの使い手よ。
『天動説』を肯定するのも簡単なことだよ。
そうだね。それは『人生』という視点の話はどうかな?
きっと、人の人生は殆ど『地動説』で構成されていると思う。
社会という太陽の周りを回る惑星の一つが僕達の人生。
でもね。マクロな視点の話でもしたように、『大きな一つの世界』という概念は幻かもしれない。
あるのはミクロな視点の小さな世界で、それが無数に集まり『大きな一つの世界』という幻の概念を生み出しているのかもしれない。
そう考えると、あなたの人生は『地動説』ではなく、『天動説』と考えることも出来るんだよ。
社会のためにあなたがいるのではなくて、あなたのために社会がある。
あなたが太陽で、あなたを中心に他のものが回っている。
どうかな?
テツガクちゃん
それいいですね!
凄く身近な感じですし、私たちの人生が『天動説』だったら、きっと楽しいですよね。
ただ、『自分を中心に他が回る』という考えは、少し大それた考え……と感じませんか?
肯定
たしかに、大それた考えで、認めていいものか迷うよね。
でも、それは自分で決められる。
自分の人生が『地動説』か『天動説』なのか。
もし、『天動説』を選ぶのなら、全てはあなたが中心だから、なりたい自分にもなれるよね。
そのためには、自分が何になりたいのかを探して、どうしたらそうなれるのか? と考える。
その答えを探すのは、ちょっと難しいけど、きっとなりたかった自分になれるはず。
だから、自分の人生は『天動説』と考えて、なりたい自分を探して、そうなれるように頑張ってみるのはどうかな?
太陽みたいに、他の惑星を照らすような責任もついてくるけど、大いなる力には大いなる責任が伴う、といいますから。
もちろん、『地動説』的な考えで、誰かの為の人生というのも素晴らしい。
花より、その花を咲かせる土のような生き方。
ただ、『天動説』的な考え方が、大それた考えとかは忘れて、自分を中心にした人生を望むか、誰かの為の人生を歩むか。
一度はそれをよく考えてみた方がいいよね。
視点次第で、人生は簡単に『地動説』や『天動説』は変わるのだから。
どちらを選ぶか、それを決めるのは自分自身。
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それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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