2017年9月10日日曜日

地動説から天動説へ


肯定
 テツガクちゃん、『地動説』と『天動説』という考え方を知っているかな?


テツガクちゃん
 もちろん知っていますよ。
 『地動説』は太陽を中心に、地球を含む惑星が動いている、という考え方で、『天動説』は地球を中心に、太陽を含む他の惑星が動いている、という考え方ですよね。


肯定
 そうそう。

 昔は『天動説』が信じられていたみたいだけど、今は『地動説』が信じられているよね。

 でもね。これがまた変わる可能性があるとしたら、どうかな?


テツガクちゃん
 またまた、ご冗談を。


 天動説に戻るのは難しいと思いますよ?
 地球が太陽の周りを公転している事実をどう説明しますか?


肯定
 『世界の果て』の話でしたように、もしこの宇宙の外に別の世界があるとしたら、その世界は僕たちの宇宙を中心に動いているのかもしれない。
 

 それで、この宇宙を中心に外の別の世界が動いているなら、僕たちの宇宙は太陽系の太陽と同じ役割になるよね。
 だから、広い視点では地動説ではなく、天動説と言えると思わない?


テツガクちゃん
 なるほど、そういう話ですか。

 マクロな視点で考えると『地動説』から『天動説』になるかもしれない、と言うことですね?
 
 でも、宇宙の外の世界のことは、まだわからないですよね。
 もっと身近な感じで、『天動説』にすることはできませんか?


肯定
 もちろん、出来ますとも。僕は肯定テツガクの使い手よ。

 『天動説』を肯定するのも簡単なことだよ。
 そうだね。それは『人生』という視点の話はどうかな?
 
 きっと、人の人生は殆ど『地動説』で構成されていると思う。
 社会という太陽の周りを回る惑星の一つが僕達の人生。 
 でもね。マクロな視点の話でもしたように、『大きな一つの世界』という概念は幻かもしれない。
 あるのはミクロな視点の小さな世界で、それが無数に集まり『大きな一つの世界』という幻の概念を生み出しているのかもしれない。


 そう考えると、あなたの人生は『地動説』ではなく、『天動説』と考えることも出来るんだよ。
 社会のためにあなたがいるのではなくて、あなたのために社会がある。

 あなたが太陽で、あなたを中心に他のものが回っている。 
 どうかな?


テツガクちゃん
 それいいですね!

 凄く身近な感じですし、私たちの人生が『天動説』だったら、きっと楽しいですよね。

 ただ、『自分を中心に他が回る』という考えは、少し大それた考え……と感じませんか?

 
肯定
 たしかに、大それた考えで、認めていいものか迷うよね。


 でも、それは自分で決められる。

 自分の人生が『地動説』か『天動説』なのか。 

 もし、『天動説』を選ぶのなら、全てはあなたが中心だから、なりたい自分にもなれるよね。
 そのためには、自分が何になりたいのかを探して、どうしたらそうなれるのか? と考える。


 その答えを探すのは、ちょっと難しいけど、きっとなりたかった自分になれるはず。 


 だから、自分の人生は『天動説』と考えて、なりたい自分を探して、そうなれるように頑張ってみるのはどうかな?


 太陽みたいに、他の惑星を照らすような責任もついてくるけど、大いなる力には大いなる責任が伴う、といいますから。
 
 もちろん、『地動説』的な考えで、誰かの為の人生というのも素晴らしい。

 花より、その花を咲かせる土のような生き方。

 ただ、『天動説』的な考え方が、大それた考えとかは忘れて、自分を中心にした人生を望むか、誰かの為の人生を歩むか。
 一度はそれをよく考えてみた方がいいよね。


 視点次第で、人生は簡単に『地動説』や『天動説』は変わるのだから。
 どちらを選ぶか、それを決めるのは自分自身。





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それでは、また次の機会にお会いしましょう。
 

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 好きの反対は無関心。  そんなたわ言、誰が言ったのか知らないが。   今の私からすれば無関心は希望。  今まで気づけなかった、その未知は。  愛しの故郷、待ちきれない今は夢の今。