2017年10月22日日曜日

夢の中での感情


肯定
 テツガクちゃんは、夢の中で何かいい経験をしたりしない?
 例えば、夢の中で何かプレゼントを貰うとか。
 

テツガクちゃん

 夢ですか……。
 実は私、夢を見たことがないんですよね。
 だから、特にそういう経験はないですね。


肯定
 えっ、そうだったの!?
 ごめんね。変なことを聞いてしまって。


テツガクちゃん
 いえいえ、それより夢の中の出来事が今回の話題ですよね?
 どういうお話ですか?


肯定
 あっ、えっと、最近見た夢なんだけど、家族からプレゼントを貰う夢を見てね。
 それは子供の時から欲しかったもので、『やっと夢が叶った!!』という幸福感を夢の中で感じたんだよ。
 その後は、家族と買い物をしているんだけど、そこでも同じ幸福感を感じた。

 ただ、これは夢だ。そこから覚めれば、夢だったとわかり落胆する。これまでは。
 でも、最近『これは夢だ』、とわかっていながらも嬉しいという気持ちは変わらず、子供の時のように落胆もしなくなったんだよ。


テツガクちゃん
 不思議ですね。どうして今は落胆しないのですか?
 だって、そのプレゼントは夢の中ですよ?


肯定
 そうだね。それは夢の中の幻の経験だ。
 なぜ今は、それが夢だと夢の中で気づいているのに、落胆せず『本物の幸福感』という感情があって、それが覚めても続くのか?

 それは、僕にはわからない。

 もしかしたら、今は夢の中でしかプレゼントを貰えないから、そういう夢が見れただけで『幸せだ』、と本能が思っているのかもしれない。
 それに家族と出かけることも最近ないし。

 でも、不思議なのは落胆しないことじゃない。
 夢の中で抱く感情が『本物である』ということなんだよ。


テツガクちゃん
 『本物の感情』を抱いているのですか?


肯定
 今回はいい夢だったけど、怖い夢だってよく見るんだよ。
 そこで感じる恐怖の感情も本物。
 下手したら実際より、迫力がある恐怖かもしれない。

 なんせ夢で見る怖い経験は容赦ないからね。
 そこで感じる恐怖は半端なものじゃないし、途中で目覚めたり寝るのが怖くなる事だってある。

 でもね、それは夢の中で抱く感情なんだよ。
 僕が子供の時に、それを恐れるのはわかる。
 でも、今は『それが夢だ』、と夢の中でも気づいているのに、なぜそれを恐れる?


テツガクちゃん
 たしかに、『それは夢という幻だ』と気づいていながらも、そこに恐怖を感じるのは不思議なことですね。
 
 あっ、こんな可能性はどうですか?
 実は夢と現実の境界はとても曖昧で、映画『インセプション』のようにまだ肯定さんは夢の中にいる。
 夢の中で私と話をしているのかもしれません。


肯定
 テツガクちゃん、ナイスチョイス! この話に『インセプション』を持ってくるとは。
 そうだね。僕は『夢から覚めたように思っているけど、まだ夢の中にいる』のかもしれないね。

 もしかしたら、夢の中にいるから感情を抱くのかもしれない。
 本当の意味での目覚めの先では、人は感情を持たないのかもしれない。


テツガクちゃん
 『私達は夢の中にいるから感情を抱く』という考え方ですか?

 それなら、『なぜ物語に感動するのか?』ということにも同じことが言えますね。
 私達はずっと夢の中に生きていて、そこで物語を見るから『感情を抱く』と。
 
 もし、本当の意味で目覚めた時、そこでは、人は『感情を抱けない』のかもしれません。

 その真相は、プラトンさんの『洞窟の比喩』同様に、きっと『永遠に知りえない』ということで、いいのではないでしょうか。
 だって、人の本当の姿が『感情を抱けないもの』というのは、なんか寂しいじゃないですか。
  

肯定
 たしかに、それはちょっと寂しいね。
 夢でも現実でも物語でも感情を抱くし、最近の僕はそれが夢だとわかっていても本物の感情を抱く。
 
 どういうわけか感情を抱く。
 それは僕が、ずっと夢の中にいるからかも知れないけど、その真相は『永遠の秘密』にしておいた方がいいのかもしれない。

 それから、人の本当の姿も『永遠の謎』の方がいいかもしれないね。
 『永遠に真実不詳の人間』の方が『不死身のキャプテン』みたいでロマンがあると思いません?






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それでは、また次の機会にお会いしましょう。


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無関心は希望

 好きの反対は無関心。  そんなたわ言、誰が言ったのか知らないが。   今の私からすれば無関心は希望。  今まで気づけなかった、その未知は。  愛しの故郷、待ちきれない今は夢の今。