今日も世界は平和だ。
独裁者という幻を信じ、それを探し糾弾する。
そんな物語が描かれ、読まれている。
漫画みたいな世界だ。
そんな世界は二つの魔法の言葉で回っている。
ネットで「私のことはかまわないで」とお願いする人がいる。
そこに、一つ目の"魔法の言葉"の裁きが下る。
『嫌なら、ネットを使うな。ネットでは拡散されるのが当たり前』
そんなこと言う善良な市民は、世界で一番の独裁者になれるだろう。
さあ、どうする? ガス室に送るか? 戦車で攻撃するか? 黒い雨を降らすか?
善良な市民、万歳!
彼らの声は絶対だ。
メディアがネットの転載をすれば。
「ふざけるな! 無断転載!」
さすが、我らが善良な市民様。
正義の鉄槌を下すその姿は、まさに英雄だ。
善良な市民、万歳!
彼らがいれば、平和は守られる。
国のあり方に不満を言えば、この言葉だ。
『嫌なら、この国を出て行けばいい』
さすが、独裁国家の独裁民。
不満を言う者は追放だ!
誰もあなた達には逆らえない。
きっと、そんな素晴らしき独裁民による独裁国家では、今後、誰がリーダーになっても文句を言わないだろう。
全て、『嫌なら○○すればいい』という魔法の言葉で、お国のために従うだろう。
素晴らしい愛国心を持った善良な独裁民だ。
あなた達なら、永遠に世界平和も守れるよ。
それに反抗するやつは、ガス室行きだ。いや、戦車で攻撃だ。いや、黒い雨の裁きだ。
気に入らないヤツがメディアで、『嫌なら見なければいい』という魔法の言葉を使うと……。
「生意気だ! 何様だ!」
独裁民が何を言う。被害者面して何を言う。
独裁民が何を言う。被害者面して何を言う。
独裁者どもが被害者面して何言ってやがる!
それは言論弾圧? ここで二つ目の魔法の言葉だ。
『表現の自由だ!』
そうだ。自分の自由を守るため、他人の自由を弾圧し、勝ち取る表現の自由。
そうやって勝ち取られた自由を独裁という。
独裁者はそうやって、自由を自分だけのものにする。
どうだろうか? 善良な市民の皆様方。
あなた達は、そうやって自由を勝ち取っていないと、誓えるだろうか?
「嫌ならするな」と「表現の自由」という魔法の言葉を使いこなし、他人の自由を弾圧し、自分の自由を守りぬく。
連戦連勝のエース、不敗の帝王、負けない英雄になっていない、と言えるだろうか?
自分が自由になるために、他人の自由を認める。きっとそれが自由になることだ。
そう答えられる凡人はどれくらい、いるのだろうか?
自分が自由になるために『嫌ならするな』と糾弾し、これは『表現の自由だ』と訴えるのなら、自分が独裁者になることを理解してほしい。
そう他人から『表現される自由』があるはずだ。
今日も世界は平和だ。
独裁者という幻を描き、それを発信している私がいるから。
そう、私も独裁民なのだ。
何かを分類する瞬間、それは分類する人の中に存在する。
悪だから分類されるのではない。悪だと思う心がそれを分類するのだ。
だから、悪はそう思う心にある。
つい、それを忘れてしまうけど……。
独裁者は幻だ。人を独裁者と呼ぶ者の中に独裁者はいる。
独裁者を創る独裁民は被害者面して、独裁者を糾弾する。
そしてまた、新たな独裁者を創る計画を立てる。
世界の平和は独裁民が守っている。
自分達が糾弾されることがない、そんな平和な日々を。
まるで、物語のような世界だ。
だけど、そろそろ新しい世界が見たい。
魔法の言葉なんか必要ない、そんな世界が。
自分が投げたブーメランが刺さり、駄文を書き続ける愚かなピエロの私。
そんなピエロにはならない、と魔法の言葉を使わない凡人が現れてくれたら嬉しい。
それが、本当は存在などしない幻の凡人でもいい。
同じ幻なら独裁者ではなく、凡人が見たい。
大丈夫、独裁者という幻が溢れる世界なら、きっと幻は存在する。
だから、凡人という幻も『存在と同時に存在しない』。
視点を変えれば、存在しない幻が見つかる。
そんな凡人がたくさんいる世界なら、魔法の言葉は必要ない。
誰にも負けない寛容性を持った凡人がいれば……。
そんな気持ち、伝わるだろうか?
弾圧することで平和が築けるのなら、認めることでも平和が築けるのではないだろうか?
もし、そうなら、互いの平和の色は何が違うのだろうか?
いつか、その違いについて語り合える日がきたらいいですよね。
そんな気持ち、わかるだろうか?
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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