2018年9月12日水曜日
はだかの王様
はだかの王様という物語の王様は、裸で民衆の前に出て笑われますが、そんな王様がかっこいい、と思ったり……。
それは物語の民衆も同じかもしれません。
みんな見栄や虚栄という重い服を脱ぎ捨てたい、と本当は思っていたり。
テツガクちゃん
肯定さん、私、『はだかの王様』が素晴らしいと思います!
物語では笑われ者になる王様ですが、その姿に憧れます。
もちろん、露出卿になりたい、という意味ではありませんよ。
肯定
テツガクちゃんは、はだかの王様のどんなところに憧れているの?
テツガクちゃん
そうですね。
着飾ることなく、ありのままの自分でいられる。そんな姿ですね。
肯定
なるほどね。
たしかに、みんな、ありのままでいられることを、本当は望んでいるんだよね。
だから、『ありのまま』という歌詞に心を撃たれ、それを叫びたくなる。
物語の人達もはだかの王様を笑いながら、本当はその王様を羨ましい、と思っていたり。
テツガクちゃん
きっと、そうですよね。
本当は、自分達も王様に続いて裸になりたい、と思っているのに、最初の一歩が踏み出せない。
笑いながら周りの様子をうかがっているのかもしれません。
誰が王様に続くのか、と。
肯定
そうだね。
あの物語は、ありのままの王様を笑う方が、余計なもの着飾っているのかも。
見栄や虚栄などの偽りの服を着ている。
それを脱ぎ捨てたい、と思う人達の心を、裸の王様は見抜いているのかもしれない。
そう考えると、はだかの王様ってかっこいいね。
僕もいつか、それらを脱ぎ捨てて、はだかの王様になれたらいいのにな、と思ったり。
笑われても関係ないよ、と笑いながら蹴飛ばして走り去る。そんな王様。
王様じゃなくても他人の目を気にせず、走り続ける人の姿に王様の影を見るのかもしれません。
そんな気持ち、分かるでしょうか?
情熱の薔薇をくわえた、はだかの王様に憧れる気持ちが。
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無神論者ですら悪霊は信じる。 人は悪霊なら簡単に信じる。 ITはどこにでもいるから、排水溝とか。 という事は――嘆きの天使だっているわけで。 神の前にその悪霊は現れる、邪神天照の前にも――。
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人は誰も思い込んでも決めつけてもいない。 ただ、ぼんやりと思い、うっかりと決めている。 もし、本当の本当に。 思い込み、決めつけられるのなら――。 きっと、竹槍で零戦を墜とせるさ。
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子供だ、幼稚だ、非国民だ、ポピュリストだ。 そう形容する事で黙らせられると思っている。 支配できると思っている。 だけど、その形容詞にはなんの優位性もない。 消えてくれ、哀れな悪魔、邪神天照よ。

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