2020年4月28日火曜日

現実を語れる人はいても


 現実を熱く語るのは、誰にでもできる。
 だけど、その現実を納得できる、冷たさ。
 それを伝えるように誰かに説ける人。
 そんな人はいるのだろうか?
 語るには易しく、説くには難しい。







テツガクちゃん
 気づいてしまいました! 私!
 現実を熱く語れる人はいても。
 現実を説ける人がいるのか。
 それは、わからないことに。


肯定
 わからないね。
 少なくとも僕は、現実を説ける人。
 そんな人に、出会ったことがない。

 納得できる。
 そんな冷たさを伝えられるように説ける人。
 そんな人は、本当にいるのだろうか?


テツガクちゃん
 もしかしたら……。
 いないのかもしれません。

 もし、目の前に現れた事実。
 それを、現実と呼ぶのなら。
 
 フィクションだって現実です。
 目の前の文章や映像に音声。
 それらの、確かな事実があるのですから。

 もし、触れることができないものはダメ、というのなら。
 触れることができない、現実という概念すら認められません。

 現実……。
 それを納得できる。
 その冷たさを伝えるように説く。

 私には、それは難しいです。
 論外の星の出身ですから。


肯定
 僕も無理だよ。

 熱く語るには易しいけど。
 冷たく説くには難しい。

 現実という幻。
 それが現れ、事実のように振舞っている。
 永遠に未完成で、ひどく不出来な出鱈目の物語。

 それを語ることはできても。
 その何かを説くのは……。
 
 あなたにはできそうですか?






それでは、また次の機会にお会いしましょう。






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 多くの人は砂漠でオアシスを探している。  平和ってオアシスを信じて、求めて彷徨う。   隣にアマゾンがあっても、砂漠の中で探す。  今、本当に欲しいもの、ITを忘れかけながら。  砂漠のオアシスなのか、豊かな水源があるアマゾンなのか。