もし、第七感が思考を読み取り、理解しようとする力であれば。
第八感は当たり前を理解する力だと。
私は"個人的に"思います!
テツガクちゃん
もし、第七感があるとしたら、それは思考ではないか?
思考を読み取り、理解する能力が第七感と。
以前、肯定さんはそう言いましたよね?
肯定
そうだね。
やっぱり、七感があるとしたら。
それは、思考を理解しようとする力だと今も思うよ。
テツガクちゃん
私もそう思います。
そして、その先の新たな感覚。
第八感に出会ってしまったんです! 私!
第八感。
それは、当たり前を理解する力だと思います。
肯定
当たり前を理解する力?
それってどんな力でしょうか!?
テツガクちゃん
最近、人のコメント。
つまり人の思考や意見に対して、『それはあなたの主観ですよね?』と訊ねる。
そんな傾向を感じ、私の隣にいる違和感の表情を確認したんです。
そして、気づいたんです。
それは、当たり前のことではないか、と。
そうです。
人が主観的なことを言うことは、当たり前なんです。
肯定
なるほど。
たしかに、人から主観性を取ってしまったら、何が残るのかな。
そもそも、それは量子力学的な世界な話で。
シュレーディンガーの猫のような話だよね。
主観性をなくし、客観的に生きる、主観的な人間を表現する。
きっと、それはこんな感じ。
寝ている時の自分の姿。
それを他人の目で見るように確認する。
だけど、他人の目、いや誰の目も借りずに。
それを確認する。
そんな感じの話だよね。
人から主観性を取る、ということは。
テツガクちゃん
そうだと思います!
そうです、この答えです。
ここには、『"私も"そうだと思います!』という当たり前が隠れています。
"私も"という当たり前です。
それを省いて、『そうだと思います!』と答えます。
しかし、それを省くと、まるで客観的のような言い分に変わり。
「それはあなたの主観だよね?」と言われてしまいます。
肯定
それは厄介だね。
何事も"個人的には"そうだと思います、と説明が必要になるなんて。
忘れていたけど、人の思考や意見。
そこには、常に"個人的に"という当たり前が隠れていたんだね。
テツガクちゃん
そうだと思います。
人が発信することに客観性などありません、というのは"私の主観”です。
そう付け加えるのは、ほんの少し話し難いですね。
これは"私の主観”です。
第八感が当たり前を見抜く力で。
その力が弱くなっている、と感じてます。
これも"私の主観”ですが。
しかし、"私の主観”です、と前置きすると。
SNSでは字数と時数が足りなくなってしまいそうですね。
以上、全て"私の主観”でした。
という会話が楽しいのでしょうか?
これはこれで楽しいのかもしれませんが……。
目には見えない当たり前。
それを見抜き、理解するステキな力が人にはあります。
そんな第八感のような魔法の力を、ほんの少し大切にしてもいいのかもしれません。
全てを"個人的に"と説明せず、曖昧さを楽しむような。
そんな力を大切に。
そして、隠れているたくさんの当たり前を探しに行きたいですね。
あなたの第八感は、どんな当たり前を見つけるのでしょうか?
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それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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