好きが東なら、嫌いは西。
東へ進み続けば、西に辿り着くこともある。
しかし、無関心は東西南北になく。
何もない宇宙にある気がする。
だから、好き嫌いの反対になれず。
テツガクちゃん
好き嫌いの反対。
それは、無関心なのでしょうか?
今の私には、ほんの少し違う景色が見えます。
肯定さんは、好き嫌いの先に無関心が見えますか?
肯定
いや、僕には見えないよ。
好き嫌いの先に無関心は。
好き嫌いと無関心。
僕には、それが全く違うものに見えるよ。
好き嫌いが東西南北だとすれば。
無関心は、何もない宇宙なんだ。
全然違うでしょう?
テツガクちゃん
全くに然り違いますね。
どうも、私と肯定さんは。
似た景色を見ているようですね。
東の先へ進めば、西へ辿り着く。
それと同じように。
嫌いの先へ進めば、好きに辿り着く。
そんなこともあるのかもしれません。
しかし、好き嫌い。
そのどちらを突き進んでも。
もう、無関心には戻れません。
一度、そこを飛び出したら。
もう、それきり。
二度と戻れない稲妻のようなもの。
肯定
そうそう。
でもさ、その無関心って凄くステキなんだよね。
無関心が恐ろしさの象徴に見える視点もある。
だけど、戻りたい懐かしさを感じることもある。
BHCを知らなかった、あの頃の僕に戻りたい。
その時の僕は、無関心の何もない宇宙にいた。
そして、B、C、Hの順に出会ってしまった。
あの衝撃は、もう二度と戻らない。
僕の心を突き抜けた、稲妻のような衝撃は。
無関心の宇宙の中で。
出会ってしまった惑星。
その惑星に出会わなかった。
あの宇宙に戻りたくても。
もう戻れない。
忘れることと、知らなかったこと。
それは、全く違う。
無関心という宇宙は、何もなかった宇宙。
テツガクちゃん
何もない宇宙。
とてもステキな宇宙ですね!
そこに恐ろしさを見たり、懐かしさを見たり。
様々な景色を覗いてしまう。
きっと、それらは錯覚なのかもしれません。
好き嫌いの反対に見えてしまうことも。
それから、私達が見た景色も。
きっと、同じ錯覚でしょう。
ですが、もし本当に好き嫌いの反対。
それが、無関心だというのであれば。
いつか再び出会いたいです。
何も知らなかった、無関心な宇宙に。
肯定
そう信じることができたら。
きっと、また出会えるのかもしれない。
無関心は形を変えるからさ。
最初は何もなかった宇宙。
心の奥の関所をつなぐ。
関(からくり)心もなかった時代。
そんな霧の時代も晴れていく。
濃い霧が関心を隠す、霧関心。
その霧が晴れた時、出会う夢の関心、夢関心。
形を変えていくのなら。
全てをトタン屋根に投げた。
そんな何もない宇宙、無関心とも。
また、出会えるのかもしれない。
別に好き嫌いの果てを歩かなくても。
何もしなくても吹く、風のようにさ。
テツガクちゃん
そうですね!
再び出会える、その今を信じてみます。
そうすれば見える。
そういう錯覚もありますよね。
好き嫌い。
それは、ロックンロールのように繰り返せる。
阿吽の関係。
無関心。
それは何もなかった宇宙。
阿吽な関係のロックンロールと何もない宇宙。
あなたは、そこにどんな錯覚の景色を見ましたか?
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それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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