2020年12月21日月曜日

距離感なんて


 人の距離感って難しいと思ってきたけど。
 結局、距離感なんて存在しないもので。
 あるのは、どこまでも続く厄介さだけで。
 もし、距離感が本当にあるとしたら。
 その距離感で、全てを許し認められるのだろう。






肯定
 人との距離感って難しいね。
 
 誰からも相手にされないのは。
 そこにいないのも同じ。

 だから、相手にはして欲しい。
 だけど、一定の距離感が欲しい、だなんてね。

 『存在と同時に存在しない』という。
 曖昧な景色に似ているけど。
 そこに厄介さが憑きまとう、曖昧さだよ。


テツガクちゃん
 距離感ですか……。

 すみません。
 私には、距離感という景色が見えないもので。

 そもそも、距離感という感覚は。
 本当にあるのでしょうか?
 意外にも幻想的な感覚かもしれません。


肯定
 たしかに、幻想かもしれない。
 人はよく幻を見るしさ。

 相手にされないのは嫌だ。
 だけど、一定の距離感は欲しい。
 付かず離れずの厄介な距離感を保つ。

 そんな距離感は。
 本当に存在している、ということなんだろうか?
 存在しないことと何が違うのだろうか?

 結局、そこに。
 たいした違いなど、ないのかもしれない。

 
テツガクちゃん
 ないのかもしれませんね。
 あるのは、ないものが見えてしまう厄介さで。
 
 そんな厄介さを見るのが。
 人の面白さかもしれませんね。


肯定
 そうだね。

 最初から存在などしないもの。
 それが、本当にあるものだと錯覚する。
 時間みたいにね。

 最初から存在などしない、距離感という幽霊。
 いや、これは幽霊に失礼だね。
 幽霊にもなれない、存在などしないもの。
 それが、距離感という錯覚の幻想だから。

 そんな幻想が見えないこと。
 それが、悪いことのように偉そうに語る。
 その景色は、随分滑稽なもので。
 
 もし、本当に。
 距離感なんてものがあるのだとしたら。
 その距離感という幻想で。
 誰かの無知すら許せる。
 そんな距離感を持ったらどうだろうか?

 と厄介なことを言いたくなる幻想。
 そんな厄介さを見るのが、人の面白さかもね。

 だけど、どうせ見るのならさ――。


テツガクちゃん
 もっと、ステーキな景色を見ましょう。
 ということですね!

 それなら、距離感という幻想を。
 トタン屋根に投げてしまいましょう。
 きっと、幻想のステーキが焼けますよ。

 その味に、会いに行くために。
 距離感という幻想から抜け出す。
 支配者が眠る、夜の向こうには。
 まだ見たことがない景色が、広がっているはずです。

 距離感に囚われず。
 眠っている人も起こさず。
 自分だけの速度で、夜の向こう側を駆け抜ける。
 それができれば、距離感という幻想の夜は。
 朝に変わっているはずです。

 私と肯定さんの窓には。
 距離感という幻想は見えません。

 あなたはどうですか?
 距離感という幻想が。
 ハッキリと見えていますか?

 もし、それが見えるのであれば。
 それは、とてもステキなことです。

 ですから、そのままの状態で。
 幻想が見えない人や、違う景色も許し認められる。
 そんな偉く大きな距離感という。
 余裕の幻想も大切に。
 
 
 

それでは、また次の機会にお会いしましょう。











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砂漠でアマゾンを探している

 多くの人は砂漠でオアシスを探している。  平和ってオアシスを信じて、求めて彷徨う。   隣にアマゾンがあっても、砂漠の中で探す。  今、本当に欲しいもの、ITを忘れかけながら。  砂漠のオアシスなのか、豊かな水源があるアマゾンなのか。