2022年6月1日水曜日

はしごを外され、外して


 きっと、家族って。
 自分がはしごを外され、いつか自分がはしごを外して。
 断ち切れない罪の因果応報。
 たぶん、そんな感じ。
 だから、何も残さず帰ろう、『誰かが』いる帰るべき場所へ。





 思いっきりはしごを外された。
 それは昔からよくあることで。だけど、家族だけは大丈夫って謎の神話を信じていた。
 いろんなところで、しょせん家族なんて、自分で選んで決めたわけでもないから。例え自分で決めても他人同士だから。これがゲンジツだから仕方ない。理不尽だけど仕方ない。
 そう賢い秘密結社『SYAKAI』に教え説かれても、自分の家にはまた違う色があるって、なぜか信じてしまっていた。その愚かさが大間違いなアンダーステアだと思い知るほどに、見事にはしごを外された。まるで、映画のワンシーンのように。
 それって、ただの被害妄想じゃない? そう賢くゲンジツ逃避ができたら幸せだったけど。生憎僕は愚かだ。スゲー、バカで愚かなFRだ。柔順従順な賢いFFではないから、理性でその声に耳を傾けても、傾いた本能を制御できない。もう、ストップ、マイ、セルフコントロールで、アンダーステアの向こう側。幻想のガードレールをぶち抜いて最速神話だった。
 バカだった。実にバカだった。愚か過ぎて、自分の愚かさに嫌気がさした。めった刺し串刺し焼き鳥だ。
 円満な家族関係を。そう誰もが望んでいる、と思い込んで。そうなって欲しいと関心を張り巡らせ、勝手に策略を進めて溺れた。策士でもないのに見事に溺れた。それを望んでいたのは、自分一人だったと本能が思い知った時、頭が真っ白になって放心状態。理性が何を言っても、奥の方で何かが吹き出し、火花が散って砕け散った、星の成れの果て。
 とぼとぼ僕は一人、抜け殻を揺らして土手道を進んでいた。
 その情けなく頼りない後ろ姿に迫るは春疾風。強い強い疾風だった。
「肯定さ~ん!」
 彼女の方を振り向こうとした頃には、風が僕をぶち抜き前へ出て、春のような風の主が振り返っていた。
「置いて行くなんて酷いですよ。……ですが、こうなるって、なんとなく気づいていました。置いてけぼりにされるって」
 少し乱れた呼吸の彼女が放心状態の僕に、出し抜くように放課後から抜け出した僕に、気づいていたことに気づいていた僕。
 そして、追いかけてきてくれた、この目の前の事実。
 それが、凄く嬉しくて。同時に、凄く恐くて怖かった。
 今、僕は純粋の恐怖と向かい合っていた。
 追いかけてきてくれた彼女にも、はしごを外されるのではないか、と。表情にも出せない奥の奥の方で、激しく荒波のように何かが揺らいでいた。
 どうか、あまり嬉しいことを言わないで欲しい。
 彼女にまで、はしごを外されたら……。できることなら、今日ばかりは気づかないで欲しかった。でも、彼女は冷酷冷徹のワガママ・クイーン。慈悲深く無慈悲に気づいていた。
「後ろ姿がいつもと違いました。もう、それはそれはもの凄く。何も語らずとも、背中は雄弁でした」
 霧の都の探偵でも見落としそうな僕の後ろ姿。その背中に何かを感じ取ってしまう彼女は鋭い表幻者。そんな名表幻者に、なんとごまかせばいいか、と考える理性。彼女にまで外されたら、と不安一色に染まる本能。でも、彼女には隠しきれない、と気づいた愚かさが諦めるように崩れ落ちた。
「はしごを、外されたんだ。思い切り」
 そう、やっとの想いで伝えた、情けなく頼りない後ろ姿の心境を。
「はしごを、ですか……」
 意味が伝わらなかった。そう思い、急いで付け加えようとするが、ちっとも頭の回転数が上がらない。回れ、回れ、回れ、そう踏み込むが、忘れていた。今、頭は真っ白な闇の中で放心状態だったことに。
 焦る僕の隣で、いつものように優しい声で空白に色を表幻していく彼女。
「きっと、肯定さんのことですから。ギリギリまでつらさに耐えてから、それを変えようとはしごを掴んだのでしょうね」
 嬉しくなるほどの名表幻は中間色。
 しかし、嬉しくなるようなことをされると余計に恐くて怖くなる。
 ホッと安心して、やっと、進めると思ったところで、また突き放されるのではないかと。暴力的な一般論でぶん殴られるのではないかと。それは、この世においては日常茶飯事な当たり前。ぶん殴って突き放すのは挨拶代わり。
 だけど、彼女は……愚かなFRうさぎだった。あの世から抜け出したウサギだった。
「その事実の重さは、どんなはかりでもはかれはしません。耐えずに助けを求められる人と耐え過ぎてしまう人。聞く方には同じ助けてでも、その重さは全く違います」
 普段なら嬉し涙が溢れそうな言葉でも涙は溢れない。
 嬉し涙も、悲しい涙も、つらい涙も、何もなく枯れていた。
 限界の先に待っていた、真っ白な放心状態には何もなかった。
 ただ、それでも、彼女とゆっくりと分岐橋まで歩く中で、頭の回転数が上がり始めた。歩く速度と同じようにゆっくりと。静かに緩やかに一つ一つ。
 
 
 ある程度の事情を彼女に話し終えた。
「……肯定さん、私、不思議に思うことがあるんです」
 そう切り出した彼女。いつもだったら何が飛び出すのか、と待ち遠しい時間が、今は凄く恐くて怖かった。
「なぜ、いつかの犯罪者予備軍の私達が、犯罪をしなければ何でもいい、だなんて心ない兵器のようなことを平気で言っておきながら。私達には心ある行いを求めるのでしょうか?」
 その疑問符はいつも通りで普段通りだったけど、どこか安心できない、安心したくない僕が、今、ココにいた。
「私、飢えたら食べ物を盗んで刑務所に入る予定でした。なぜって、刑務所が最後の避難所じゃないですか。いったい、どういうことでしょうか? 流行の常套句、誰もが繰り返す引用句、世界に誇るオモテナシの辞世の句。困ったら一人で勝手に死ね、ということでしょうか? 我がヤマト魂、美しき腹切りブシドー精神は浜に棄てても永久に不滅です。自己責任万歳!」
 抑えきれない憤りを引きずりながら彼女は続けていく。
「それとも、心ある人が犯罪を犯して、心ないことを平気で言える人は犯罪を犯さない、ということでしょうか? どちらにせよ、賢過ぎて、愚かな私にはついていけません」
 なんと返していいか、わからなかった。
 その答えがわからないのではなく、ただ嬉し過ぎて。
 だけど、やっぱり、まだこわくて。
 何も答えられない僕に構うことなく。先行する彼女はいつものように僕を振り回し始めた。
「自分は賢く偉いからって、いい気になっているのが滲み出ていますね。そんな人ほど世界に平和を、と言いますが。はしごを外す、心ない人が望むことでしょうか? 近くの人も助けられないのに、世界の平和だなんて、どんな冗談ですか?」
 隠しきれない憤怒の疑問符に、傲慢の大間違いがのこのこ顔を出した。
「僕って昔から、余計なお世話が多いみたい。いろんな人からよく言われる。辞めればいいのに、辞めなきゃいけないのに、なんか自分じゃなくなる気がしてできなかった。傲慢だった」
 随分と待たせてしまった声。それを聞いた彼女は僕のしらけた目を見て微笑んだ。
「私、傲慢な肯定さんが大好きですよ」
 彼女の声と温かい言葉。いつもは凄く嬉しいそれらが、まだ少しこわかった。
 その隣で彼女は自分の胸に手を当て、息を調えゆっくりと歌声で返し始めた。独特な歌い方で。
「誰かが倒れたら、一緒に倒れればいい、それだけでいい。誰かが立とうとしたら、一緒に立てばいい、それだけでいい」
 彼女仕様の『誰かが』が奥まで届いて刺さった。
 グサッと優しく温かく。恐くて怖かった、純粋の恐怖も届かないほど奥まで。
「今のは全然違いますが、この歌を聴いた時、簡単なことが凄く大切なんだと身に染みました。ですから、できる限り、私もそうしたいと思いました。そして、それは誰もが同じだって、勘違いをしていました。肯定さんと同じように。傲慢な大間違いをしていました」
 そう自分も同じ勘違いをしていた、と打ち明けてくれた彼女。
「ですが、見てください。戦争は止まりません。それは、詮無きことです。家族ですらはしごを外され、外していくのに。世界だけがそれをしないで平和であるなんて、そんな幻想はありません」
 傲慢な大間違いをしていた彼女は、再びゆっくりと憤怒を今に解き放ち始めた。
「甘えてんじゃねぇーよ、です。平気で誰かをシカトするのに。どうして、自分の世界だけは平和であって欲しいって。とんだ強欲の無関心です。簡単なこともできないのに。なぜ、世界の平和を、だなんて最上級の贅沢を欲張れるのか。その賢さには全くついていけません」
 これまでも何度か彼女の憤怒を見てきた。
 だけど、今、解き放たれた憤怒は、今まで見たどの憤怒よりも美しく綺麗で嬉しかった。
 僕はその嬉しさに怠惰な懺悔を始めた。
「悪かったよ……気づかなかったんだ。まさか、この世の考え方に生き方や行動。それらができないことが、こんなにも許されない罪だったなんて。本当に気づかなかったんだ。よくわからない自立ができないと、そんなに悪いだなんて、気づけなかったんだ。愚かだから」
 枯れたはずの涙が、気がつけば止まらなかった。
「私も全く気づきませんでした。変なことには気づいてしまう私ですが……愚か過ぎて全く気づけませんでした」
 止まらない涙と共に頭の回転数が戻ってきた。
 凄く不思議な現象だ。涙を流す時、理性の方が崩れるのに、涙が落ちれば落ちるほど戻り始める理性と自我。
「まるで、『みにくいアヒルの子』ですね。もちろん、私達は白鳥ではありません。そうですね……私達は鴉か鳩です。空飛ぶ厄介者です。水の上を泳ぐのではなく空を飛びます。同じ鳥ですけどね」
「そうだね、同じヒト科の人らしいけど、信じられないほどできることが違うんだ。一般的な大多数にできる当たり前が。ただ、できないのが僕らの当たり前で」
「そうです、疑問符にとり憑かれたり、余計な好奇心をドリフトさせたり、傲慢な大間違いのお世話を勝手に焼いたり。ですが、一般的な大多数にそれらができなくても、悪いとは思いません。ただ、一緒に空を飛べたら、とは思ってしまいますね。大多数の賢い水鳥も一緒にって。同調じゃなくて共感して欲しいって。傲慢にも」
「どうすれば、そうなるんだろうか、って考えて、少しずつそれに近づいている、そんな気がする瞬間が凄く嬉しくて。前へ、前へ、前へって勘違いの錯覚へ加速していく愚かな今が……やっぱり、好きで。今だって」
 そう相変わらずの愚かさで僕が返せば、嬉しそうに答える鴉のワガママは美しかった。
「同じ似た者同士ですね、私も肯定さんも。同じ答えじゃなくても、同じものを感じようと手を伸ばす、この感覚。もう、最高です。辞めれません、止まれません、ストップ、マイ、セルフコントロール。シカト全開、ワガママ全快、立ち上がりは愚かさが全解の好奇心ドリフトです!」
 彼女の独特の言い回し、怪快台詞に自然と笑みが零れた。
 ずっと、真っ白な闇、その奥の方に再び灯が灯った。玄冬の灯が。
 『Sun in the Rain』……というより、サン・イン・ザ・ダーク。真っ暗な闇だから、輝ける太陽。月でも星でもない、正真正銘の玄い太陽が僕の真っ白な闇を照らし、その灯で僕の不可思議な情が表に映し出された。それに気づいた彼女は静かに訊ねた。
「……私、何か変なことを言いましたか? 肯定さん?」
 晴れだろうが雨だろうが、よく滑るカプチーノはスベリーノ。
 頼りになる愛車を足蹴に不戦神話を滑らせる、四つ揃ったAはWAGAMAMA。いつだって、どこだって、デンジャラスなワガママ・クイーンは変わらずに我がままだった。
「ありがとう、ガクちゃんだったから……嬉しくて。本当にありがとう」
 さきほどまで笑っていたのに、勝手に涙が降り始め天気雨。嫁入りする狐でもここまで荒れない情緒模様は筑波山に住む怪人百面相。彼女につかまる前の虚ろな鉄仮面ですら百面の一つに思えた。
「よかったです。やっぱり、肯定さんは肯定さんですね。どんなに後ろ姿や表情が違っても肯定さんです。筑波山のように」
「見る場所で違う形だけど、どれも正真正銘の筑波山だね」
「そうです、埼玉南東エリアにとっては憧れの霊山。怪山百面相な筑波山です」
 いつものようにゴキゲンに微笑む彼女に、少しずつウカレタ気分が追いつこうと回り始めた。
「やっぱり、ガクちゃんは凄いね……」
 ずっと、影に隠れていた飢えた嫉妬が今へ飛び出した。
「誰もが突き放したのに。まさか、ガクちゃんが気づいてくれて。今、隣にいてくれるなんて……」
「想像も予想もしたくない今ですね、私では力不足です」
「何を言っているの、これがホンモノの役不足。ガクちゃんにはもっと大きな役目が似合うよ」
「いえいえ、そんな、私には流行の役不足がピッタリです」
 そう抜き返し、虚ろな僕の奥へ向かってハッキリと申すのは女王の色欲。
「誰が担うものですか。誰かと共に感じる、関心がない泥人形。セーフティーなエンプティーで世界平和を願うだなんて、寝ぼけたことをいう、永眠寝室のミイラな泥人形共と一緒にいたら、私までミイラ漬けになりそうです。ミイラ取り、未来のミイラ。ですが、まだ、しわくちゃにはなりたくありません」
 ワガママ・クイーンの色欲。その切れ味は名刀というより妖刀。
 バッサリと斬り棄てられた、僕の賛美賛辞。それも笑うほどに愉快で爽快な今、真っ二つに別れて過ぎ去った、讃美歌と賛辞家はもう遠い過去。
「そうだね、まだしわくちゃになるには速いね」
「速過ぎます。例え最速神話でも、もう少しだけ弾くように滑っていたいです」
 張り合いのあるワガママを弾き滑らせる彼女は何も変わらず。その事実が諸行無常なんてものが退屈な幻想だと弾き飛ばし、奥の細道に確かな永遠の今を滑らせた。
「奇妙奇天烈な私に貼り憑いてくださる似た者同士、意地を貼り合える関心を持っている愚か者同士。どうですか? まだ私のワガママに憑いてこれますか?」
「まだまだ憑いていけるよ。ココまで摩訶不思議に振り回してもらったからね。お互い、意地の貼り合いだね」
 無意識にそう返していた。全く迷うことも考えることもなく。憑いていきたい。本能も理性も全てが、その愚かさを求め繋がり一つになっていた。まるで、この世には存在しない幻想の家族のように。
「貼り合いです! わからないことをわかろうと加速していく、今。ほんの少し近づけた気がする、張り合いのある錯覚へ『DIVE IN!』するのが辞められない愚か者同士。仕方ないって賢く諦めるのを……諦めましょう。愚かなFRは賢いFFにはなれないのですから」
「過去に押されながら進むからね」
「そうです。未来に引っ張られませんから、グリップ走法なんてとても無理です。過去に押されながら、今を滑り倒しましょう! アンダーステアで」
 そう彼女が言えば、本当にアンダーステアの向こう側。あちらの世界へ辿り着ける気がした。愚かなFRうさぎがウサギに帰れる場所へ。この世にとっては不思議な国でも、あちらにとっては、なんの変哲もない一般的なありふれた今に。彼女となら帰れる気がした。
 そんな僕の心情はゲンジツ逃避。
 どこからか逃げ離れる逃避をしてきたつもりが。いつの間にか、どこかへ逃げ込む逃避に変わっていた。したくはない、不本意な逃げ込む逃避に……。
「肯定さん、何か不本意で不満ですか?」
「ああ、なんかゲンジツ逃避だなって。その逃げ離れる逃避なら大歓迎なんだけど。逃げ込む逃避に変わった気がして。なんか、これでいいのかなって……」
 そう素直に不本意な想いを吐き出せば、お腹を抱えて笑いだす隣の彼女の本意は得体知れず。神秘的なその本意が知りたくて、ほんの少し不満げに真っすぐ返した。
「……そんなに笑うことかな?」
「ああ、いえいえ、そんな……。と、とても由々しきことだと……」
 そう口では言いながら、おさまらない笑いを必死に抑え込む、そんな彼女の姿の方が由々しき事態だった。一大事を乗り切った彼女は満足げにど真ん中へ投げた。
「実に由々しき事態です。そうです、これは大事件です! ゲンジツ逃避が逃げ離れる逃避から逃げ込む逃避に変わるなんて……実にけしからんことです」
「そんなに大事件かな?」
「とんでもない大事件です! インパクトブルーが復活して、水原勇気さんがヤンキースに入団して、谷口タカオさんが監督に決まって……それらが同じ日に起きても驚かないほどの事件です。霧の都の名探偵さんでも匙と賽を投げるほどです」
「そうだったの? でも、安心だよ。頼りなる、名表幻者が隣にいるから」
「安心ですね、頼りなる私のホームズさんが隣にいますからね」
「えっ、いや、ガクちゃんの方だよ。僕のワトソンさんが隣にいるから……」
 なんとも馬鹿げた勘違いと食い違い。そんな歪な今が、もの凄く愛おしく感じて笑いが止まらなかった。隣で笑う彼女がなぜ笑ったのか、それがわからなくても、こわくないほどに。
 夕立のような笑いも止み、晴れ間のような沈黙から、お互い同じタイミングで再び今を食らう。その速度は暴食。
「同じ似た者同士の私達なら、また逃げ離れる逃避旅行ができそうですね。このまま浪漫逃避です。この世にはありませんが、向こう側にはある幻想を探しに」
 先行する彼女は変わらずに速い閃光。
 それを追う僕にも月並みな平静が帰ってきた。忌々しいこちら側の令和からやっと。
 それでも、全く敵わない彼女の速さは、何も変わらずにそのままワガママに滑っていく。
「Bey Bey This world. ドウモ、アリガトー。Hello Hello That world. ドウモ、ヨロシクー。そんな感じで、逃げ込まずに逃げ離れて行きましょう。誰だって、この世から帰りたい場所へ帰っていくのですから」
「誰かがグッバイなら、誰かはハローで。誰かがありがとうなら、誰かはよろしく。『ハロー・グッドバイ』なのは基本だもんね」
「そうですとも、基本なのは変わりませんぞ」
「本当に……帰れるかな?」
 確かな不安、それを迷わず明かした今。
 先行の彼女は僕の不安を知っていたかのように。同じ立場に立って、同じ光を眺めるように。独特の歌い方で想いと帰り道を歌う。

 誰かが転んだら、シカトすればいい、ただそれだけでいい。
 誰かが叫んだら、突き放せばいい、ただそれだけでいい。
 誰かが消えるのを、待っていればいい、ただそれだけでいい。

「そんなこの世の『誰かが』を歌えませんが、私達には私達の『誰かが』があります。いいですか、肯定さん? 私達のはこれです」

 私が前に出たら、追いかければいい、ただそれだけでいい。
 私が滑り出したら、滑ればいい、ただそれだけでいい。
 私が見えなくなったら、目を閉じればいい、ただそれだけでいい。

 随分と彼女らしい、超ワガママな『誰かが』がもの凄く嬉しくて。さっきまでの不安も満たされるほどに安らいだ。
 このまま、彼女に憑いて行けば、月のうさぎが一般的になる、そんな故郷にちゃんと帰れる気がした。うさぎがウサギに帰る、終わらないお茶会の今へ。
「凄いワガママな『誰かが』だね」
「ワガママはお嫌いですか?」
「大好きだよ。憧れるくらい変わらない、ガクちゃんの我がままが」
「それでこそ、私の肯定さんですぞ」
 帰り道がハッキリと見えた頃、お別れの分岐橋も目の前にあった。
 ここからお互い別々の道。僕があちらへ向かい、彼女はこちらへ向かう、いつもの普段通り。
 だけど、なんか今日は……。
「さて、肯定さん……」
 そう改めて僕を呼ぶ彼女。
 いつもとは違う別れ際に複雑な想いが廻り、普段は聞こえない脈拍まで聞こえてきた。どんどん速くなる脈とは対照的に、妙に永く感じる間。それを静かに彼女が破り始めた。
「世界の平和を、だなんて大げさで強欲なことは望みません。そんなこと、私の関心では捌けませんからね。セーフティーなエンプティーは関心を抜き取られた、めくらでつんぼな無関心の泥人形共に任せておきます」
 そう微笑む彼女は、僕の見えない裏側へ向かって一歩踏み出した。
「傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰、その七つでは大罪は足りません。最も大きな罪が抜け落ちていますからね。そうです、知識欲、好奇心です」
「大罪を知りたい。そう思ってしまう、その好奇心が一番の大罪かもしれないって、どこかで話したね」
「さすが、肯定さん。忘れていませんでしたか。抜群の関心捌きです。そうです、私は大罪よりも重い罪、原罪の好奇心をドリフトさせる、愚かなFRうさぎです。月のうさぎが一般的に思えるほどに愚かです」
 そう指し指を揺らす彼女は釣り名人。今日も僕の関心は釣られたまま。
「『なぜか今日は』何も起こらず平和な気がするって、賢くゲンジツ逃避をするのは性に合いません。なんせ、私は厄介者の鴉ですからね。裏側を覗きたいんです。愚かなゲンジツ逃避で、遠い遥か彼方の銀河系まで行けそうな、同じ鴉を探しているんです。そうです、同じ関心で向き合える、肯定さんみたいな面白い人と夢中な今を」
 ゆっくりと彼女の意図に巻かれて魅かれていく。
 その引きが止まり、しばしの沈黙から再び彼女は。
「さて、肯定さん……」
 さきほどと同じように、改めて僕の名を呼ぶ、その声に。
 最初から動いていない時間は、ずっと止まっていたんだと、思い知るほどの永さと速さに、一般的な説教の思い込みは砕け散った。速過ぎる鼓動と強く巡る血とスローモーションに感じる感覚で彼女を待っていた。
「はしごを外されたこと、恨んでいますか?」
 想像も予想もしなかった問に想いがつまった。
 振り返ってみると、自分でも信じられないが恨みはなかった。
 ただただ残念で無念だった。同調ではなくて共に感じる今を共感できない事実に。近づこうにも、もうこれ以上近づけず、どうにもならない事実に。最初から向かい合っていなかった事実に。初めて賢い諦めというのを覚えてしまった。
 たぶん、わかってもらえないのだろう。
 最初からその気なんて微塵の欠片もないのだから。
 わからないって便利な免罪符で、わかろうとしない今を正当化するので誰かは精一杯だと。自然に感じて思ってしまった愚かな本能に、それを恨む賢さはなかった。
「いや、恨んでないよ、不思議とね。残念だけど、これが何でも許される免罪符、仕方ないってやつでしょ? 言いたくなかったけど、今日だけはハッキリと言うよ。仕方ないんだよ」
「……詮無きことですね」
 そう静かに続く彼女。僕が返した答え。それが、彼女にとってどんな意味だったのか。その裏側が知りたくて堪らない、原罪の僕の好奇心。それに気づいていた彼女は今、ぶち抜いた。
「ですが、よかったです! 恨みなどの余計な荷物があっては、せっかくの帰り道が台無しですからね!」
「そうだね、恨んでいられないよ。マジに夢中にならないと置いて行かれそうだから」
「もう、それが今日、私を置いて行った人が言う台詞ですか?」
「あ、ごめん、ごめん! また、似たことがあるかもしれないけど。悪気はないんだよ!」
「当たり前です! 悪気があったら許しませんよ。私を誰と心得る、私こそは――」
「慈悲深く無慈悲な冷酷冷徹のワガママ・クイーン様」
「そうです、万年赤点クイーンとは私のことです!」
 そんなことを言って笑う彼女に釣られて笑う頃には、いろんなことが想い出になる前に忘れ落ちて却っていく、忘却の此方。もう青いトタン屋根の上。星みたいに消えてった。
「ホント、私達にこの世は狭過ぎて合いませんね。アレはしてはならない、コレをしなければならない、ドレか決めなければならない。成らないが多過ぎて、何にも成れず慣れません」
「ホントだね……上品なグリップ走法じゃないから、ぶつけて迷惑ばかりかけて」
「居心地が悪いですね、もの凄く。ですが、安心です。ココは帰るべき場所ではなくて、時々、戻る場所ですから。私達の帰り道の向こう側で待っているのはあの世です。アンダーステアの向こう側は帰るべき故郷です」
「よかったよ。帰るべき故郷の方が、居心地悪いなんて大変だからね」
「大変ですよ」
 そう笑って返した彼女は、僕の前へ出てくるっと振り返る。
 いつもの光景が記憶に焼き憑くほど、ゆっくりと鮮明に眩しく感じた。
「さて、私はこちらへ向かいます。肯定さん、この続きは延長戦です。死なずとも抜け出せる、あの世では年齢とか関係ありません。ですから、いつでも一緒に遊びに行きましょう。同調できなくても共感できる今を追いかけましょう。この世にはなくても、それがあるステキなあの世まで。力不足な私が隣でよければ」
「何言ってるの、ガクちゃんには古典的に役不足な僕だけど。また連れてって。一回でも多く、里帰りしたいから。この世にはない探し物がある、マジに夢中な速度まで。行ってみたいと思うから」
「それでは、お言葉に甘えて、遠慮なくワガママに振り回しますよ! また何度でも帰りましょう。我がままに素直に正直に帰りたい時に。肯定さん、今こそ決断の刻、メイクアップ、マイ、マインドです!」
 そんな彼女の想いは残光。それが道しるべのように残像を描いていく。
 僕はその残光残像を眺めながら、ふいに現れた満足と共にあちらへ振り返って一歩踏み出した。
 メイクアップ、マイ、マインドで、1万1千の向こう側までキッチリ回る愚かさと共に。
 
 
 本当に来る世界を間違えてしまった。
 だけど、救いだったのは『誰かが』いたことだった。
 そう超・ワガママで、眩しい中間色の挑発的な長髪で、美しい我がままを持った、めちゃ速の最速神話が。
 その速度でもなかなか抜け出せない、この世のしぶとい忌々しさには困るが。
 それでも、彼女が前に出れば、いろんなことを忘れて、追いかけ回すことにマジに夢中になれる。そんな愚かさがあれば、本当にアンダーステアの向こう側に抜け出せる気がした。
 過去や未来、禁足地の過未の領域には行けなくても。掟破りのシカト走りで、今、この瞬間、ワガママに想いのままに貫けたら。うさぎがウサギに帰る、ワンダーランドへ。
 ここは得体の知れない、不可思議な怪奇現象が溢れた人生の怪談だから。
 未知を知ろうと、わかろうと、近づこうと、関心を捌いて好奇心をドリフトさせたら開かれる抜け穴だって、知ろうとする素人の『Mr.ジョーンズ』なら見えるのかもしれない。
 人が自分が見たいものしか見ないのなら。説教を信じていたい人には、それが見えて追いかけ続ける。それを疑う人にも同じように違うものが見える。人の数だけ道と抜け未知があるのだから。隣にいてくれる誰かを探しておくのは罪ではない気がする。
 例え、その『誰かが』あの世よりの使者だとしても。関心を抜き取られた、めくらでつんぼな泥人形よりも関心を持った人。むしろ、この世の人よりも確かな我を持った、ワガママな人かもしれないから。

 それに出会える今、世界が終わっていくのは詮無きこと。
 理不尽だけど仕方ない、これがゲンジツなんでしょ?
 何がゲンジツなのか、知り尽くしたかのように言える賢さ。
 そんなこの世の一般的な諦めの賢い翼は愚か者にはない。
 一方的に暴力的に一般論を押しつけても無駄だ。

 そんな愚かな厄介者は。
 ストップ、マイ、セルフコントロール。
 メイクアップ、マイ、マインド。
 サン・イン・ザ・ダーク。
 バイ、バイ、セ
フティーなエンプティー。
 ワガママ、イズ、マイ、フィーバー。

 シカト全開、ワガママ全快、この世全壊、あの世全懐。
 立ち上がりは愚かさが全解の好奇心ドリフト。
 いい気になってる、賢い泥人形共に掴まるほど鈍間ではない。

















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砂漠でアマゾンを探している

 多くの人は砂漠でオアシスを探している。  平和ってオアシスを信じて、求めて彷徨う。   隣にアマゾンがあっても、砂漠の中で探す。  今、本当に欲しいもの、ITを忘れかけながら。  砂漠のオアシスなのか、豊かな水源があるアマゾンなのか。