2017年5月2日火曜日
秒速5センチメートルについて(既に観た方向け)
今回は雑談ということで。
映画、『秒速5センチメートル』について。
え、それ雑談じゃなくて、映画のカテゴリーじゃない?
と思う方もいると思いますが、今回はレビューというものではなく、ただの雑談程度の話です。
※注意
この雑談内容は、
既にこの作品を観た方を意識して進みます。
ネタバレ厳禁の方はバックをお願いします。
そして、まだ観てない方……
おそらく理解しがたい話になると思います。
では、本題なのですが。
『秒速5センチメートル』
この映画はもの凄く悲しいラストで、映画の中盤も観てて辛い、と思う方。
そんなイメージを持っている方。
今回はそのイメージを哲学肯定の私が肯定哲学を使って、別のイメージを提供できたら、と思います。
それでは、本題の映画のラストです。
これはとても辛いラスト、と受け取ることもできますが、逆に最高の『ハッピーエンド』として受け取ることもできます。
それはなぜか?
と言いますと、まず中盤の話。
ヒロインに対して、送らないメールに気持ちをこめる主人公。
その後、大人になってもヒロインの幻影から解放されず。
一方、ヒロインはしっかりと新しい道を歩んでいる。
主人公は、ラストまで抜け殻なまま道を進む。
それが、あのラストシーン。
踏み切りで電車が過ぎるのを待つ主人公。
そこに残るのは春の暖かさと桜。彼女の姿はない。
ここで彼はやっと幻影から開放され、新しい道へ歩み出す。
ただ進むのではなく、ちゃんと自分の意思で別の道を歩き出す。
と解釈すれば。
最高の『ハッピーエンド』と考えることもできるんじゃないでしょうか?
ラスト、過去にヒロインがいた方向ではなく、別の方向へ歩き出すシーンから、そんなことを考えました。
これが私の肯定哲学です。
主人公がその後どうなるのか?
それは観た方々の気持ちに委ねられている。
と私は勝手に思っています。
※もし、新海監督さんが
「それは違うよ!!」
とおっしゃるなら、謝罪と共にこの話を消しますので、
お許しください。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
この国に氷菓があったのだから。 当然、邪神天照だっているのだろう。 だから、賢者の石だって分霊箱だって。 なんだってあるのだろう。 ココをどこだと? 在りもしない欺瞞の蓬莱島だぜ?
-
無神論者ですら悪霊は信じる。 人は悪霊なら簡単に信じる。 ITはどこにでもいるから、排水溝とか。 という事は――嘆きの天使だっているわけで。 神の前にその悪霊は現れる、邪神天照の前にも――。
-
人は誰も思い込んでも決めつけてもいない。 ただ、ぼんやりと思い、うっかりと決めている。 もし、本当の本当に。 思い込み、決めつけられるのなら――。 きっと、竹槍で零戦を墜とせるさ。
-
子供だ、幼稚だ、非国民だ、ポピュリストだ。 そう形容する事で黙らせられると思っている。 支配できると思っている。 だけど、その形容詞にはなんの優位性もない。 消えてくれ、哀れな悪魔、邪神天照よ。
0 件のコメント:
コメントを投稿