2017年5月7日日曜日

マクロな視点、ミクロな視点


肯定 
 『物事をどの視点見るか?』ということは、とても大切なことだよね。

 例えば、『タイムマシン』の話だと、これまでのタイムマシンでは起きる問題がとても大きかった。
 だけど、その問題を小さくできたら、意外と身近なところにヒントがあるかもしれない、と気づけるよね。
 
 マクロ(大きい)な視点とミクロ(小さい)な視点の問題。


テツガクちゃん
 そうでしたね。
 
 タイムマシンの話で例えますと、

 これまでの肉体が時空を移動できるタイムマシンはマクロな視点。
 精神が自分の寿命を移動できるマシンはミクロな視点。

 という印象ですね。


肯定
 そうだね。
 同じ『未来人のパラドックス』でも視点を変えると、起きる影響が変わる。


 マクロな視点で起きる影響は、世界レベルの大きな問題だけど、ミクロな視点では個人にだけ起きる小さな問題。

 
 そう、『パラレルワールド』という感じだよね。


テツガクちゃん
 質問なんですが、『パラレルワールド』は世界レベルの大きな問題ではないのですか?

 
 『選択肢の数だけ世界がある』というパラレルワールドが持つ影響力はとても大きなものように思えます。


肯定
 これも視点の問題なんですよ。
 きっと、『世界は一つ』で世界を大きな視点で考えるよね? 
 みんな同じ大きな世界の中を生きている、って。

 でも、本当は、小さな世界なのかもしれない。
 人の数だけ世界があって、大きな世界という概念は幻想なのかもしれない。

 
 そう、『洞窟の比喩』にあるように大きな世界というのは、洞窟の壁に映る影なのかもしれない。
 そういう可能性も。


テツガクちゃん
 それは『スイミー』という絵本の話ですか?
 巨大な一匹の魚だ、と思ったら無数の小魚の群れだった。

 それと世界観が同じ、と言うのは衝撃的ですが。


肯定
 いい例えで、そういう可能性もあるよね。

 そうだ! こういう話はどうかな?

 この世界を作るのは、日々の日常で、みんな『同じ時間の一日』を過ごしているよね?
 でも、みんながみんな、自分と『同じ体験の一日』を過ごしてはいない。

 
 同じだけど、違う一日。

 だから、誰かと会うと自分とは違う体験をしていて、そこには自分の知らない世界があるじゃない?
 同じ映画を観ても感想が違うように。
 世界観というのはそういうものかもしれない。
 可能性の一つとしてね。


テツガクちゃん
 たしかに、1日は24時間というのは同じですが、その1日でする体験は人それぞれ違いますね。


 映画の感想も全く違います。
 ベイダー卿が好きだったり、アナキンが好きだったり。


肯定
 その『スター・ウォーズ』だって、観た人の数だけその世界が広がっている、と考えることができるよ。

 
 これが『スター・ウォーズ』です! という一つの概念はなく、観た人の数だけ別の世界がある。

 例えば、
 テツガクちゃんが、ベイダー卿について何か話を創る。
 ここで『テツガクちゃんの中のスター・ウォーズ』には『新たな歴史』が加わるけど、他のファンにはその歴史は加わらないし、公式の話に変化もない。
 変わったのは、テツガクちゃんの中にある小さな視点の『スター・ウォーズ』。

 そういう小さな視点の集まりが、大きな視点の世界を作るのかもしれない。
 
 
テツガクちゃん
 私達は、意外とそういう小さな世界を旅しているのかもしれませんね。
 
 物語と人の歴史は似ているところもあります。
 その物語が観た人の数だけあるのなら、歴史は生きた人、学んだ人の数だけあるのかもしれません。

 なにより、物語や歴史、世界をつくる人がそうですよね。
 個人の印象や性格は、その人を知る人の数だけある。
 そういう人達によって作られる世界が、『一つの大きな世界』と考えるのは軽率かもしれませんね。


肯定
 可能性を広げたい時には、どの視点で観るか? と考えてみると意外なヒントや、新しい世界が見えると思います。


 視点を変えると言うことは、とても大切なことで、ある意味全ては視点次第、と言えるはずです。

 一つの世界という視点では難しい問題も、個人の世界という視点では『自分だけの答え』もあるはずです。





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