テツガクちゃん
野球漫画の『キャプテン』を読んでいると励まされますよね。
諦めたらそこで終わっちゃう。だから、諦めず、自分達にできることを尽くそう。
そんな感じのメッセージが私は大好きです。
肯定
僕も『キャプテン』や『プレイボール』が大好きでね。新作が楽しみだよ。
そこで、さっきテツガクちゃんが言った「諦めたらそこで試合終了」という言葉、よく使われるよね? それなら逆に、『どうしたら試合開始』なのかな?
テツガクちゃん
えっ!? そこですか?
ん―、そうですね……。何かを始めたら試合開始ですかね?
そういえば、試合終了のことばかりで、どうしたら試合開始なのか、考えていませんでした。
肯定
だよねー。僕も最近まで全く考えなかったけど、「あれ? じゃあ、どうやったらまた新しく試合を始められる?」と思ったんだよ。
それで、僕なりに考えた結果。『諦める』という精神の行いが試合終了のアクションなら、『挑戦しよう』という精神の行いが試合開始の合図かもしれないよね。
他にも「何か行動した時」と答える人もいるだろうけど、僕は終わりが精神行為なら、始まりも精神行為かな、と考えました。
テツガクちゃん
なるほど、確かに『何かを始めよう、挑戦しよう』と思う精神行為が試合開始の合図かもしれませんね。
でも、どうして、今そこに注目したのですか?
もちろん、「諦めたら試合終了」という言葉が有名で、『どうしたら試合開始できるか』という部分が語られることが少なかったと思いますが。
肯定
どんなに諦めずにプレーしても、やはりいつか試合は終わる。
では、どうしたらまた新しい試合を始められるか? という部分はとても大切だよね。
試合を諦めず、精一杯戦う。そして、また『新しい試合』を始める。
個人的には、勝ちか負けか、という結果はどうでもいいんだけど、そこに拘る人なら尚更、新しい試合を『どうしたら始められるのか?』ということを意識すべきじゃないかな、と思って、そのことを今、テツガクちゃんと語りたかったんだよ。
テツガクちゃん
たしかに、どんな試合でもいつか終わりがきてしまいますね。
私、諦めければ試合は『永遠に終わらない』と思っていました……お恥ずかしい。
そうなると、どんな人でもまた新しい試合を始めることが大切になってきますね。
肯定
ナイス! テツガクちゃん! だから今、語りたかったんだよ。
テツガクちゃんがいうように、視点を変えると『永遠に終わらない』試合もあるかもしれない。
それは『人生』というゲームの試合。
人生が終わるまで、永遠に終わらない試合。
なぜ『人生が永遠と考えるか?』というのは、また別の機会にするけど、人生というゲームは永遠に続く、あなたが諦めなければ。
マクロな視点に立つと、人生という永遠に終わらない試合がある。一方で、そのマクロな試合を支えるのがミクロな試合。小さな試合の数々が大きな試合を作る。
これも『キャプテン』の中に含まれたメッセージだよね。
小さなものをコツコツ重ねることが、大きなものへ変わる。
テツガクちゃん
ありましたね。練習の取り組み方とかもそうですが、私が一番印象に残っているのは、青葉の監督の台詞ですね。
「目先だけの満足感のために大局を忘れるんじゃない。本当の満足感というのは、試合に勝った者が味わえるものなんだぞ」という台詞です。
監督の言い分はとても正しく、全く問題ないのですが……。見方を変えれば、『小さな満足感なしに大きな(本当の)満足感があるのか?』と私は思います。
そう考えると、『本当の満足感というのは、小さな満足感の積み重ねではないだろうか?』と私は考えますね。
そして、人生という試合においても、小さな試合の取り組み方が大切だと思います。
肯定
その通り、ミクロなものがマクロを作り支える。
常に新しい試合を始めて、諦めずに最後までやりきる。
もし、途中で諦めてしまったのなら、それでもいい。
なぜなら、また新しい試合を始めればいいのだから、その始め方を理解していれば、また試合に立てる。
あっ、それと、試合は野球の試合じゃなくてもいいんだよ。
サッカーの試合でもテニスの試合でもいい。
つまり、今まで知らなかった世界に挑んでも大丈夫、ということ。野球を10年やったらずっと野球じゃないといけない、ということはない。自分が見てみたい世界に挑むことが大切だよね。
だから、「諦めたら試合終了」と同時に「何かしたいと思ったら試合開始」と考えてみるのは、どうでしょうか?
そうすれば、何回でも試合に挑戦できます!
関連の話題
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿