テツガクちゃん
肯定さん、よく『限りある命だから価値がある』と言いますが、もし命が『永遠』ならその命に価値はない、ということですか?
肯定
鋭いことを訊きますね。
そうね……だいたいの人は、それはありえないから、と答えるかもしれない。
でも僕は、実は『永遠』が身近にあることを理解しているつもりなので、『永遠の命』も信じます。
そのうえで答えると、もちろん価値はある、と思うな。
テツガクちゃん
そうですよね。
命は限りがあってもなくても、価値がありますよね。
価値は人が与えるもので、命に価値があると与えるもの人です。『金のなる木』の話です。
本当は、命そのものに価値があるのに、『有限の命』だから価値がある、としたら、『無限の命』は無価値となってしまいます。
それは、少し悲しいことですよね?
肯定
そうだね。
例えば、『無限の命』を持つロボットを人が創ったとして、そのロボットが人類の歴史の観察者として一緒に時間を過ごす。
その時、このロボットは『有限の命』じゃなくて、『無限の命』を持つから命に価値はない、とか、ロボットには命はない、とか言うのだろうか? ということだよね。
今はまだロボットに感情はないとか、命はないとか、無限の命に価値を見いだせない、と考えてしまうのは仕方ないとは思うけど、ロボットや『無限の命』にも人が同じように価値を与えられる日が来るといいよね。
テツガクちゃん
その日は、意外と近いかもしれませんよ?
近い将来、家庭用の人型ロボットが誕生しているかもしれません。
そうなると、人はロボットとの関係について考えて、そこにも命という価値を与えるでしょう。
そして、いずれ『無限の命』とも向き合うことになるでしょう。
その時、有限や無限というのは関係なく、『命』そのものに価値がある、と思える日がくると思います。
というより、そうであって欲しいですよね。
どんな存在でも認めることが出来る。そんな寛容性が人にはあるはずですから。
肯定
寛容性はもの凄く大事だよね。
相手を認めることで世界は広がる。
ロボットの命や『無限の命』を認めることが出来れば、『有限の命』を持つ人間の世界はきっと広がる。
それと、『本当に大切なことは何か?』 ということを改めて考えることも大事だね。
『有限の命』が素晴らしいんじゃなくて、有限の『命』が素晴らしい。
有限や無限というのは飾りのようなもので、本当に素晴らしいのは『命』。
例えの繰り返しになってしまうけど。
映画館で観た一度きりの映画も、家で何度も観たDVDの映画も感動は同じだよね? いいものはいい。
そこに映画館での体験だったり、家でのくつろぎ、という『付加価値』がつくけど、根本の映画の価値は変わらない。
有限か無限か、というのも『付加価値』でしかない。
命に対する根本の価値は、変わらないはずだし、変わらないであってほしい。
テツガクちゃん
私もそれは、変わらないであって欲しいですね。
そのためには、大きな寛容性と『何が本当に大切か?』ということを考える力。それらを大切にしなければいけませんね。
それが、私達に『新しい可能性』という世界を見せてくれると思うので。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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