テツガクちゃん
『何を言うかではない。誰が言うかだ』という言葉。
これはやはり、権力や立場がないと意味がない、という事でしょうか?
肯定さんはどう考えますか?
肯定
そうだね……。
殆どの人が、その通りだと考えている気がする。
でも、僕は『誰が言うかではない。何を言うかだ』と今は考えていたり。
テツガクちゃん
あっ、私も同じです。
もちろん、影響力を持った人が言えば、与える影響は大きい、と思います。
でも本当は、『影響は少なくてもいい』と私は思ったり。
肯定
影響が少なくても『何を言うか』といいますか。
自分に『何が言えるのか』を考えることが大切だよね。
『何かに影響を与えるために、何かを言う』というやり方だけではなくて。
テツガクちゃん
そうですよね。
私、少し気になるのですが、この言葉の『誰』は、おそらく権力や立場がある人ですよね?
でも、ちょっと考えてみてください。
その人達はどうやって、その権力や立場を得たのでしょうか?
『何も言わず、人の支持に従い、黙々と何かを続けた結果』そうなったのでしょうか?
肯定
たぶん、そうじゃないと思うな……。
もちろん、寡黙に取り組んで、その立場を得た人も絶対いると思うけど、どちらかと言えば『何かを言い続けた人』がそれを得ているような気がする。
テツガクちゃん
私も『何かを言い続けた』から、その立場にいると思います。
もちろん、言葉通りにただ発言して終わるのではなく、自分が言ったことを取り組み続けた人。
そういう人が『いつか、その誰かになれる』と私は考えます。
そうですね。
『何かを言い、それを続けた結果。いつか、それを言う誰かになれる』
こんなイメージです。
肯定
それいいね。
『何を言うかではない。誰が言うかだ』という言葉の中に、そういう物語があったら、面白いよね。
今日も鋭いね~、テツガクちゃん。
テツガクちゃん
いえいえ、そんな。
私、この言葉はどう解釈しても大丈夫だと思うんです。
『誰が言うか』それが大事だから、その誰かになろうとすれば、それは最高です。
一方、『何を言うか』が大切で、言ったことをしっかり行い続けることができれば、それも最高です。
ただ、『誰が言うか』、それが大事と考える場合、『自分が言っても意味がない』と思ってしまうのは、少し勿体ないですよね。
肯定
ああ、それ昔の僕だ……。
昔は『大きいことをいう人達』を見下した感じで見ていたんだよね。お恥ずかしい限りですが。
でも、よくよく観察していると、『大きなことをいう人達』は結果的にそれを成し遂げていることに気づいてね。
なぜだろう? と自分なりに考えたら、ちゃんとその人達は言ったことを成し遂げるために、何かをしている人達でした。
一方、昔の僕は、『自分は誰かになれないから仕方ない』と諦めて、悪態をついていたんだよね。
お恥ずかしい時代ですが、そのお蔭で『言ったことを行い続けることが大切』と思えたので、必要な時間だったね。
ちょうど、その転換期にテツガクちゃんと再び出会えた。
もしかしたら、これが出会いのきっかけかもしれないね。
テツガクちゃん
この言葉が、諦めの理由になってしまうと、勿体ないですよね。
肯定さんが私と出会う前に、そういう時代があったなんて知りませんでした。
ですが、今の肯定さんいいですよね。
昔もよかったと思いますが、昔より進化している感じがしますよ♪
肯定
ありがとう。
自分でも、あの悪態をついていた時代の自分も嫌いではないんだよ。
その自分がしたことを申し訳ない、と思える今の自分がいることが、なんか嬉しいから。
そんな今の僕には、今日のテツガクちゃんの解釈。
『何かを言い、それを続けた結果。いつか、それを言う誰かになれる』
これは最高だと、心から思うよ。
だって人は、何かを感じ、思い、考え、それを宣言しないと、なかなか継続できないと思うんだよ。
いきなり継続して、実績を出せるなら、それが一番いいけどね。
この言葉は、自分が『影響力が欲しいのか、それとも自分を貫きたいか?』という事を教える言葉かもしれないね。
テツガクちゃん
こちらこそ、ありがとうです。
この言葉ひとつで、いろんな事を考えることができますね。
宣言したことを行い、それを継続し続ける。
そうすれば、いつか『誰か』になれる、かも……しれない?
でも、それでいいじゃないですか?
仮に、影響力を持てなくても、自分の考えを貫き通せたら、それで。
自分にしか考えられない言葉の方が、たくさんの人を動かす言葉よりも無限の可能性を秘めている.
私はそんな気がします。
お別れの前に、もう一つ。
あなたが欲しいのは、影響力でしょうか?
それとも、自分を貫くことでしょうか?
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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