2018年7月18日水曜日

若さは苦さ


 若さは苦さかもしれません。
 苦く苦しい環境と向き合う、そんな活力を若さと呼ぶのかもしれません。
 もし、そうなら、年齢などを計る時間という秤は必要ありません。
 苦いと思えることがあれば、まだ若さは失っていません。










テツガクちゃん
 気づいてしまいました! 私!
 若さは苦さなんですよ! 苦いと思えることが、若さといいますか。


肯定
 どうしたの、突然!?
 若さが苦さ……?

 たしかに、漢字の形は似ているね。

 でも、苦いと若いがどうして同じなの?


テツガクちゃん
 だいたいの果実は熟さないと苦いですよね?
 甘くはないと思います。

 そして、人も若い時には、苦しいことが多いと思います。
 お金、技術、体力など様々なことで困り苦しみますが、成長して徐々に困難を乗り越えるだけのモノを手にします。

 未熟な状態から徐々に熟していく、その過程は果実と近いものを感じます。
 ですから、苦いということは、若さだと思うんです!


肯定
 なるほど!

 たしかに若い時は、苦しく困難な状況にいることが多いかもしれない。

 スポーツ選手とかもそうだよね。
 あの過酷な環境の中で戦えるのが若さ。
 苦しさの中でも負けずに頑張る。

 そんな姿に若さを感じるのかも。
 
 そう考えると、若さは年齢で計るものではないのかもしれないね。

 
 今、苦しさの中で頑張っている人には、若さがあるのかもしれない!


テツガクちゃん
 そうですよ!
 年齢より、苦さを感じれることが若さだと、私は思います!

 例えば。

 子供の時には苦くて飲めなかったコーヒーが飲めた時。
 それが成長で、コーヒーが飲めなかった時より熟した、ということです。
 コーヒーを苦いと感じれることが若さだと思います。


肯定
 コーヒーの苦さを美味しいと感じられることは嬉しいけど、若さを越えて熟したと考えると、なんか少し寂しいね。


 でも、常に困難な状況で苦しんでいれば、若さが保てるかも!


テツガクちゃん
 だからといって、わざわざ苦しさの中に飛び込まないでくださいよ!

 ただ、誰だって、苦しさと向き合うことは嫌だと思います。
 それを避けずに向き合えるのが、若さという活力のような気がします。
 
その苦さと向き合う力、それを若さと呼ぶのかもしれません。

 
肯定
 苦さと向き合う力が若さか……それいいね!

 熟すと甘くなる。
 それは環境もそうで、甘い世界に入っていくと、苦さが失われていくのかもしれない。

 もし、若さが欲しいのなら、
今よりほんの少し厳しく苦い環境に近づけば、また苦いと思える若さを手にすることができるのかもしれない。


テツガクちゃん
 それを若さと呼ぶのか、わかりませんが、私は苦しく困難な状況と向き合っている人に若さを感じます。
 そこに年齢は関係ありません。

 青春というのもそうです。
 青い春は、想像よりも苦いものだと思います。
 春を迎えるための苦しい時期。
 そんな、苦く青い時期を青春と呼ぶのなら、年齢などを計る時間という秤は必要ないと思います。

 その苦さと向き合える勇気などの活力。
 それが今もあるのなら、まだ若さを失っていないと思います。

 若さは、苦く熟していない未熟な果実。
 若さを恋しく思うのは、自分が甘く熟した果実に成長したから。
 そう考えてみれば、若さを求めるのは、自分が熟した証だと思います。
 その成長を喜べるといいですよね。

 ただ、どうしても若さを失ったと思い。
 それをまた手にしたい、と思うのなら、 是非苦いモノと向き合ってみましょう!
 例えば、凄く苦いコーヒーとか!








それでは、また次の機会にお会いしましょう。

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砂漠でアマゾンを探している

 多くの人は砂漠でオアシスを探している。  平和ってオアシスを信じて、求めて彷徨う。   隣にアマゾンがあっても、砂漠の中で探す。  今、本当に欲しいもの、ITを忘れかけながら。  砂漠のオアシスなのか、豊かな水源があるアマゾンなのか。