若さは苦さかもしれません。
苦く苦しい環境と向き合う、そんな活力を若さと呼ぶのかもしれません。
もし、そうなら、年齢などを計る時間という秤は必要ありません。
苦いと思えることがあれば、まだ若さは失っていません。
テツガクちゃん
気づいてしまいました! 私!
若さは苦さなんですよ! 苦いと思えることが、若さといいますか。
肯定
どうしたの、突然!?
若さが苦さ……?
たしかに、漢字の形は似ているね。
でも、苦いと若いがどうして同じなの?
テツガクちゃん
だいたいの果実は熟さないと苦いですよね?
甘くはないと思います。
そして、人も若い時には、苦しいことが多いと思います。
お金、技術、体力など様々なことで困り苦しみますが、成長して徐々に困難を乗り越えるだけのモノを手にします。
未熟な状態から徐々に熟していく、その過程は果実と近いものを感じます。
ですから、苦いということは、若さだと思うんです!
肯定
なるほど!
たしかに若い時は、苦しく困難な状況にいることが多いかもしれない。
スポーツ選手とかもそうだよね。
あの過酷な環境の中で戦えるのが若さ。
苦しさの中でも負けずに頑張る。
そんな姿に若さを感じるのかも。
そう考えると、若さは年齢で計るものではないのかもしれないね。
今、苦しさの中で頑張っている人には、若さがあるのかもしれない!
テツガクちゃん
そうですよ!
年齢より、苦さを感じれることが若さだと、私は思います!
例えば。
子供の時には苦くて飲めなかったコーヒーが飲めた時。
それが成長で、コーヒーが飲めなかった時より熟した、ということです。
コーヒーを苦いと感じれることが若さだと思います。
肯定
コーヒーの苦さを美味しいと感じられることは嬉しいけど、若さを越えて熟したと考えると、なんか少し寂しいね。
でも、常に困難な状況で苦しんでいれば、若さが保てるかも!
テツガクちゃん
だからといって、わざわざ苦しさの中に飛び込まないでくださいよ!
ただ、誰だって、苦しさと向き合うことは嫌だと思います。
それを避けずに向き合えるのが、若さという活力のような気がします。
その苦さと向き合う力、それを若さと呼ぶのかもしれません。
肯定
苦さと向き合う力が若さか……それいいね!
熟すと甘くなる。
それは環境もそうで、甘い世界に入っていくと、苦さが失われていくのかもしれない。
もし、若さが欲しいのなら、今よりほんの少し厳しく苦い環境に近づけば、また苦いと思える若さを手にすることができるのかもしれない。
テツガクちゃん
それを若さと呼ぶのか、わかりませんが、私は苦しく困難な状況と向き合っている人に若さを感じます。
そこに年齢は関係ありません。
青春というのもそうです。
青い春は、想像よりも苦いものだと思います。
春を迎えるための苦しい時期。
そんな、苦く青い時期を青春と呼ぶのなら、年齢などを計る時間という秤は必要ないと思います。
その苦さと向き合える勇気などの活力。
それが今もあるのなら、まだ若さを失っていないと思います。
若さは、苦く熟していない未熟な果実。
若さを恋しく思うのは、自分が甘く熟した果実に成長したから。
そう考えてみれば、若さを求めるのは、自分が熟した証だと思います。
その成長を喜べるといいですよね。
ただ、どうしても若さを失ったと思い。
それをまた手にしたい、と思うのなら、 是非苦いモノと向き合ってみましょう!
例えば、凄く苦いコーヒーとか!
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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