2019年11月11日月曜日

放浪的な狂詩曲な景色


 慈悲深いベルゼブブさんのご好意で、『ボヘミアン・ラプソディ』。
 その景色に出会えました。放浪的な狂詩曲の景色です。
 本当に大切なもの。それは全くありませんでした。






肯定
 ガクちゃん、クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』という曲を知っているかな?

 最近、やっと僕にもこの歌の幽かな景色が見えて。
 これもベルゼブブさんのお蔭だね。
 

テツガクちゃん
 もちろんです。
 私も大好きです!

 肯定さんもベルゼブブさんのジョーカーを受け取ったんですね。
 私もです。

 どうしても、この歌の奥の方を覗いてみたくて。
 ですが……けっきょく、奥の方までは見えませんでした。


肯定
 僕もだよ。
 
 でも、見えた景色もあって。
 それは、この歌には大きな三つの景色がある。

 何かに捕まり、減速していく景色。
 静止した場所で、最後の裁きを待つ景色。
 退屈な悪夢から抜け出そうと、加速していく景色。

 この三つの景色が見えたよ。
 きっと、ガクちゃんにも見えたかな?


テツガクちゃん
 見えましたよ。

 ということは、この景色も見えましたか?

 わからないことがわかっている。 
 そんな『Mr.ジョーンズ』であればいい。

 本当に大切なもの。
 それは、全くなかった。
 誰にだってわかること。

 たいしたことではなかった。
 どうなろうとも、どんな風が吹こうとも。
 大切なものがないこと。
 それさえ、わかっていれば。


肯定
 見えたよ。
 ベルゼブブさんがくれたジョーカーのお蔭でね。

 そう、この切り札。
 何の数字もない、何の意味もない。
 何もないこと。それが切り札なんだ。
 
 放浪的な狂詩曲。
 三つの違う音楽が、一つの歌の中にあってもいい。
 意味が伝わらなくてもいい。
 流れる風のように、全てを無視して吹き抜ける。
 吹き抜けたきり、もうそれきり。

 そんな音速の風が吹く歌。
 それが『ボヘミアン・ラプソディ』かもしれない。


テツガクちゃん
 そうですね!
 とてもステキな歌ですね。 


肯定
 だけどね。
 一つだけ、気になってしまって。

 僕もガクちゃんも、この『現実世界』と呼ばれる世界。
 それが、現実ではなく幻だと気づいている。
 幻が実体化する、『幻実世界』と。

 そんな僕達。いや、僕は……。
 本当に、この『ゲンジツ』から逃れられないのかな?


テツガクちゃん
 どうなんでしょう?
 肯定さんはどう思いますか?


肯定
 んー……。
 やっぱり、わからないや。
 でも、それでいいんじゃないかな。

 ベルゼブブさんから切り札をもらったり。
 ガクちゃんの世界に遊びに行ったり。
 しょっちゅう、『ゲンジツ』の隙を見つけては、抜け出している気がするけど。

 それが違うと言うのなら、きっと、違うのだろう。
 『ゲンジツ』がそう言っても、お構いなしだよ。

 逃れない定め。
 それも無視して突き抜け、吹き抜ける。

 どこに風が吹いても、たいしたことではない。
 そもそも、たいしたことなんて、最初からなかったんだ。
 誰もがわかっている。
 誰もがそのことに気づいている。

 大切なものなんて、全く何もなかった。

 それは、決して悲しいことや悪いことではなく。
 それが、最も高く広く光る幸せが香る考え。
 最高で最広な最光の最幸が最香に最考。

 つまり、全てがサイコーで。
 『サイコウ』は一つでも、一つとは限らないこともサイコーで。
 今、この瞬間にも『唯一無二』の『サイコウ』が、様々な場所にある。

 それは当たり前で、たいしたことではない。
 だからこそ、本当に『サイコウ』なんでしょう。

 あなたは、自分だけの『ボヘミアン・ラプソディ』。
 その中で、どんな『サイコウ』に出会いましたか?

 
 
 
 

   

それでは、また次の機会にお会いしましょう。













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砂漠でアマゾンを探している

 多くの人は砂漠でオアシスを探している。  平和ってオアシスを信じて、求めて彷徨う。   隣にアマゾンがあっても、砂漠の中で探す。  今、本当に欲しいもの、ITを忘れかけながら。  砂漠のオアシスなのか、豊かな水源があるアマゾンなのか。