2020年4月1日水曜日

自粛と保障、平等と公平



 全ての人に平等に自粛を求めながら。
 その保障は公平に選ばれた限られた人だけ。
 それは、ほんの少し不可思議だと思いませんか?
 そんな話です。





 はーい、テツガク肯定です。
 なんて挨拶は、今、相応しくない気がしますが……。
 この挨拶がいいと思うので、このままで。

 さて、今、皆様はとても大変な日々を過ごしていることでしょう。
 ウィルスに感染しないように、また誰かにうつさないように注意したり。
 それから、街のお店が閉まっていたりして、平常時とは違う生活を送っていたり。
 何事も自粛していく、それがある種の義務のように感じたりして。

 しかし、それは錯覚ではなく。
 できることなら、全ての人がそれに協力して欲しい。
 目には見えない義務のようなもので。
 皆様もできる限り、平面に等しく平等に、自粛という活動に協力しているのでしょう。

 その行いには、保障が必要になるでしょう。
 その関係は、買い物にも似ている気がします。
 欲しいものとお金を交換する。
 この場合、自粛と保障の交換ですね。

 さて、それをどう保障していくか。
 そこで平等と公平が表れます。

 全ての人に平等に保障した方がいい。
 いやいや、困っている人を選んで公平に保障した方がいい。

 そのやり方に絶対的な答えはない。
 そう私は思います。

 ただ、ほんの少しだけ。
 私には不可思議に見えることがあります。

 全ての人に平等に自粛を求めますが、その保障は公平に選ばれた限られた人だけ。
 そんな空気が、大きくなっているような気がします。

 全ての人が平等に協力しないと、乗り越えられない問題。
 その中で、その先の保障は選ばれた限られた人だけ。

 もちろん、平等に保障できないのであれば、仕方ありません。
 ですが、やっぱり不可思議です……。
 
 とはいえ。
 不可思議だからと言って、外で大暴れをするつもりもありません。
 もしかしたら、私には求められていないのかもしれませんが。
 このまま、できる限りのことを続けてます。皆様のように。

 さて、これを書き終え、投稿する頃には明日になっていることでしょう。
 明日の先に続いているらしい、どこかの未来。
 今、これを覗いている、そこには、平等に何かを求めた後、平等に何かを保障できる。
 そんな余裕がありますか?
 それは、財布的な余裕というより、心の余裕です。

 そんな未来がどこかにあれば。
 それが当たり前で、平常な日々にもそれがあれば。
 誰もスターリンを求めたりしないのでしょうね。

 最後に、『平等と公平』については。
 5月頃、『テツガクちゃんと肯定』でも取り扱います。
 最近、違う意味でタイムリーな話題が多いですが、昨年から決めていたストックだったので。正直、驚いています。

 どうか、皆様もお体にお気をつけて。
 既に継続している、できる限りのご協力。
 それを、このまま、そのまま、我がままに。(訳:自分らしく)





 
   

 それでは、また次の機会にお会いしましょう。


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グリフィン理論

  いつだって10月だし11月だし3月なんだ。  このグリフィンさんの教えは贈り物。  誰だってジェイソン・ボーンだしジェームズ・エドワーズ。  ロバート・アンジャーでローン・レンジャー。  そして、ネオでもある……忘れているだけで。