全ての人に平等に自粛を求めながら。
その保障は公平に選ばれた限られた人だけ。
それは、ほんの少し不可思議だと思いませんか?
そんな話です。
はーい、テツガク肯定です。
なんて挨拶は、今、相応しくない気がしますが……。
この挨拶がいいと思うので、このままで。
さて、今、皆様はとても大変な日々を過ごしていることでしょう。
ウィルスに感染しないように、また誰かにうつさないように注意したり。
それから、街のお店が閉まっていたりして、平常時とは違う生活を送っていたり。
何事も自粛していく、それがある種の義務のように感じたりして。
しかし、それは錯覚ではなく。
できることなら、全ての人がそれに協力して欲しい。
目には見えない義務のようなもので。
皆様もできる限り、平面に等しく平等に、自粛という活動に協力しているのでしょう。
その行いには、保障が必要になるでしょう。
その関係は、買い物にも似ている気がします。
欲しいものとお金を交換する。
この場合、自粛と保障の交換ですね。
さて、それをどう保障していくか。
そこで平等と公平が表れます。
全ての人に平等に保障した方がいい。
いやいや、困っている人を選んで公平に保障した方がいい。
そのやり方に絶対的な答えはない。
そう私は思います。
ただ、ほんの少しだけ。
私には不可思議に見えることがあります。
全ての人に平等に自粛を求めますが、その保障は公平に選ばれた限られた人だけ。
そんな空気が、大きくなっているような気がします。
全ての人が平等に協力しないと、乗り越えられない問題。
その中で、その先の保障は選ばれた限られた人だけ。
もちろん、平等に保障できないのであれば、仕方ありません。
ですが、やっぱり不可思議です……。
とはいえ。
不可思議だからと言って、外で大暴れをするつもりもありません。
もしかしたら、私には求められていないのかもしれませんが。
このまま、できる限りのことを続けてます。皆様のように。
さて、これを書き終え、投稿する頃には明日になっていることでしょう。
明日の先に続いているらしい、どこかの未来。
今、これを覗いている、そこには、平等に何かを求めた後、平等に何かを保障できる。
そんな余裕がありますか?
それは、財布的な余裕というより、心の余裕です。
そんな未来がどこかにあれば。
それが当たり前で、平常な日々にもそれがあれば。
誰もスターリンを求めたりしないのでしょうね。
最後に、『平等と公平』については。
5月頃、『テツガクちゃんと肯定』でも取り扱います。
最近、違う意味でタイムリーな話題が多いですが、昨年から決めていたストックだったので。正直、驚いています。
どうか、皆様もお体にお気をつけて。
既に継続している、できる限りのご協力。
それを、このまま、そのまま、我がままに。(訳:自分らしく)
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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