不平等を謳い訴える時。
それは、本当に不平等だから問題なのではなく。
恐ろしいほどに、平等だから問題なこともある。
―テキトウ・テツガク―
テツガクちゃん
不平等を謳う時。
それは、本当に不平等だから問題なのではなく。
恐ろしいほどに、平等だから問題なこともある。
そんなことに気づいてしまいました! 私!
肯定
たしかにね。
本当に平面に等しく平等だから。
言い訳も言えずに、不平等さを謳い訴えたくなる。
そういうこともあるね。
テツガクちゃん
ありますね。
平面に等しく平等に並んで映画を観たら。
後ろの人は映画が観れないかもしれません。
本当は平等ですが。
それは不平等だと。
そう思うことでしょう。
肯定
そうだね。
他にもチャンスもそうだよね。
誰にだって、物語を描くチャンスはある。
それは、本当で確かにある。
だけど、それを認めるより。
物語を描いて、お金をもらって、作家として生きていく。
そういう生き方ができないから。
そんなチャンスはない。
そう信じたくなる。
もちろん、その気持ちはわかるつもりだよ。
本当にね――。
テツガクちゃん
あまりにも、平面に等しく平等すぎるから。
逃げ道が欲しくなってしまう。
そんな気持ちですよね?
肯定
そんな気持ちだよ。
あの人は自分より多く機会を得た。
あの人は自分より結果を出せないのにあがれた。
だけど、本当はそれらはあまり重要ではない。
機会が少なかったとか、結果がどうとか。
そんなことよりも。
自分が満足できないから。
その理由を不平等さに求めてしまう。
それは、とても自然な当たり前で。
テツガクちゃん
私のお腹がすく。
それと同じくらい、当たり前に然る、当然ですね。
満足できないのであれば。
満足できるまで機会に立つ。
機会は、いつでもどこでも平等にあります。
むしろ、あり過ぎるくらいです。
練習の打席だって、自分が実戦だと信じれば実戦に変わり。
鮭の塩焼きも、自分がステーキだと信じればステーキに変わります。
いえ、これは少し不可思議ですね。
厚切りのお肉やお魚を焼いた料理。
それがステーキなのですから。
肯定
肉でも魚でも、焼けばステーキだね。
そして、それは物語もそうだね。
お金がもらえないから。
満足できる物語が描けないのではなくて。
まだ、満足に納得できる。
そんな何かが見つからないから。
それが描けないだけで。
それを探すのに。
何かの違いはあまり重要ではなさそうだ。
テツガクちゃん
なさそうですね。
実力や才能なんてものが、幻想である以上。
特別扱いされる要素など何もなく。
恐ろしいほどに平等です。
だからこそ、感じてしまう不平等という幻想。
公正で公平なことはありませんが。
偏重で不公平な平等は確かにあります。
偏重で不公平な平等なんて。
ほんの少し信じ難いかもしれませんが。
それこそが平等です。
平等は偏重で不公平だからこそ。
平面に等しく並べる平等だと思います。
今、あなたもそんな今を覗いているのでしょう。
誰もが平等に覗けるはずなのに。
偏重と不公平がないと辿り着けない、そんな今を。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿