2020年6月30日火曜日

未完成の抑止力抑止論


 旧式の掟を笑い、流行の抑止力抑止論。
 それにすがる、その前に。
 私達は決断をしなければならない。
 その流行が正しいことを証明するために。
 世界中のどこに、報復するのかを。





否定
 古い掟を笑い。
 流行の抑止力抑止論。
 それにすがる、その前に。

 その流行をよく見てみた方がいい。

 誰かが攻撃したら。
 こちらも報復する。

 それが抑止力になり。
 これこそが、新しい時代だ。
 
 そう、流行は語るが。
 一度でも、その報復を見たことがあるのだろうか?
 どこかに何かが落とされ。
 その報復に、またどこかに何かを落す。 


フィロソフィー
 あるのでしょうか?
 私は見たことがありません。
 否定さんはどうですか?


否定
 私もそれを見たことがない。

 だが、よく考えれば。
 身近な景色でも、そんな抑止力は見たことがない。

 目には目を、歯には歯を。
 いつだって、そんな話は通らない。


フィロソフィー
 通りませんね。

 武道を習っていても。
 ちょっかいを出す人は出します。
 それに反撃をすれば、こう言われます。

 君は武道経験者だから。
 一般人に手を出してはならぬ。

 きっと、この抑止論もそうなんでしょうね。


否定
 そうだろうね。
 
 ある国の行いには正義があって。
 その正義に報復することは許されない。
 そう、世界中が見張っている。

 けっきょく、押せやしない、報復のボタン。
 そんな役立たずな核心は、ちっとも革新的ではなく。
 そう、誰もが心の奥深くでは確信しているのだろう。


フィロソフィー
 確信を隠しているのでしょうね。

 ですが、カビと埃だらけの古臭い掟。
 それを放り投げたい。
 そんな気持ちもわかる気がします。


否定
 もちろんだよ、ソフィー。
 私もその気持ちは、わかるつもりだよ。
 流行のものは、よく見えるからね。

 もし、旧式な九。
 それを破り棄てたいのであれば。
 私達は決断をしなくてはならない。

 流行の抑止力抑止論。
 それが、正しいことを証明するために。
 どこかに、報復をしなければならない。


フィロソフィー 

 たしかに、誰も報復を成功させていないのに。
 それにすがって、溺れていく。
 その姿は、旧式な九よりも滑稽ですね。

 ですが、どうして報復の決断ができるのですか?


否定
 それは、既に落とされたからさ。

 世界で唯一。
 世界中に報復をする権利。
 それを有しているのだから。
 
 決して、東の最果てのUの責任じゃない。
 エゲレスやキャナダも落せ、とサインした。

 北のターリンも知っていたこと。
 あのマンハッタンの決断は、世界中からのGOサイン。
 もちろん、西の最果てのJすら、それにサインしたのさ。

 だから、笑いながら。
 冗談でも言うように。
 僕はここに報復する、私はここに報復する。
 毎日、それを全ての人が話し合う。

 もし、それができないのであれば。
 抑止力をあてにした、流行の抑止論。
 そんなものは、幻想だろう。
 それには、乗らない方が懸命だと思う。

 ちなみに、私はカビと埃まみれな旧式な九が好きです。
 なぜなら、それこそが『ヤマト魂』。
 怠惰太子の誇りですから。

 門限があるから、帰ります。
 制限があるから、行きません。
 権限がないから、やりません。
 厄介ごとから抜け出すのに、これほど便利な掟は他にありません。

 厄介な流行よりも。
 伝統的なやり方、その方が革新的なこともある。

 あなたにあの流行。
 それは、どう映っていますか?





それでは、また次の機会にお会いしましょう。







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無関心は希望

 好きの反対は無関心。  そんなたわ言、誰が言ったのか知らないが。   今の私からすれば無関心は希望。  今まで気づけなかった、その未知は。  愛しの故郷、待ちきれない今は夢の今。