同じ『見た』でも、その意味は人それぞれ。
最低三回観たことを観たという人。
一回でも観れば、観たという人。
五分でも見れば、見たという人。
同じ言葉でも、その先は深淵のように。
得体が知れなくて、どこか面白い。
テツガクちゃん
同じという概念は。
深淵のように面白い世界、ということに。
気づいてしまいました! 私!
同じという概念には。
深い差があります。
例えば、同じ映画を観た、という状況。
そこにも、と――っても深い差があります。
肯定
たしかに、深く深ーい差があるね。
僕は最低3回観ることを、観たと言っていて。
もちろん、稀に一回だけの作品もあるけど。
自分の中で観たな。
そう言えるのは、最低3回は観た作品。
あっ、『最低3回』だからね。
本当は、10回くらい観ている作品もあるし。
そういうのが、僕にとっての『観る』ってことかな。
テツガクちゃん
肯定さんはそうですよね。
最低3回観たことを観る、という方もいれば。
1回観たことを『観た』という方。
冒頭の5分だけでも『見た』という方。
同じ『見る』の中にも。
様々な深さがあります。
それを誰かに伝えるのは。
なかなか難しいことですが。
それが面白かったり。
肯定
そうだね。
伝わるとは限らないんだけど。
伝えようと考えることは面白いかも。
気持ちを込めて、という言葉。
その深さに、どれくらいの差があるのか。
それを知るために、相手を知ろうとする。
知りえない人の深淵を知ろうとする。
そんな素人っていいよね。
テツガクちゃん
そうですね!
私もそんな深淵の素人に憧れます!
人によって違う、様々な深淵の差。
永遠に知りえないかもしれない深淵。
そこに飛び込むのは。
ほんの少し、愚かなことかもしれません。
ですが、知りえないことを知るために。
そこへ飛び込んでみたいんです。
底がない深淵の底という幻を見るために。
そのために、愚かな素人のFRのまま。
全速全開の好奇心ドリフトで攻めます。
違いを教えるために。
知ろうとするのではなくて。
違いを探したくて。
知ろうとする、素人です。
特異を探すのが辞められない、愚かなFR走り。
賢いFFのあなたは、どんな攻め方で。
同じ深淵を見るのでしょうか?
同じだけど違う。
矛盾的な深淵はとっても面白いです。
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