2018年9月27日木曜日
楽しいとはなんですか?
私達は錯覚の『楽しさ』を見ているのかもしれません。
本来の『楽しさ』は、砂漠で一人で歌を歌うようなもので、何もなくても続けたくなる。
賞賛や名声、あらゆる物を忘れて続けたくなること、それが『楽しい』ことかもしれません。
2018年9月24日月曜日
光の中でも輝く光
いつでも星や月はあるのに、昼にそれらは見え難いです。
周りが暗いと光はよく見えて、光の中にいるとその光は見え難くなります。
ですが、光の中でも輝く一等星のような概念がきっとあるはずです。
2018年9月20日木曜日
深淵を覗く時、深淵もこちらを覗いている
『深淵を覗く時、深淵もこちらを覗いている』というニーチェさんの言葉。
これはとても身近にある問題です。
人が見ている二つの望み。絶望と希望。
絶望を覗くということは、その絶望に導かれてしまう、ということかもしれません。
2018年9月12日水曜日
はだかの王様
はだかの王様という物語の王様は、裸で民衆の前に出て笑われますが、そんな王様がかっこいい、と思ったり……。
それは物語の民衆も同じかもしれません。
みんな見栄や虚栄という重い服を脱ぎ捨てたい、と本当は思っていたり。
デッドマンズ・チェスト
『パイレーツ・オブ・カリビアン』の2作目のサブタイトル、『デッドマンズ・チェスト』というタイトルは面白いです。
なぜなら、このタイトル中には『二つのチェスト』が隠されているからです。
2018年9月1日土曜日
パンくずを拾いながら進む旅路
人生は『パンくず』を拾う旅に似ています。
様々な人が落したパンくずの中から、自分が気になるパンくずを拾い進む。
その先に何があるのか、旅の終着点はどうなっているのか。それはちょっとしたミステリーです。このミステリーが終わらないことを含めて。
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懐かしい人に手土産を届けた時。 私は新しい名前を得た。 その人は私に気づかなかった。 名乗っても、隣の家の人だと思われた。 怒って然るべき事かもしれない。 だけど、私は笑った。 私は――新しい名前を得た、ランドール・スティーブンス氏。
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その家族は『ザ・ニューヨーカー』って雑誌に住んでいて。 たった1枚、1コマに生きていた。 それがいつの間にか。 愉快なフィンガースナップと共に1枚の画面にやってきた。 1937年から飛んできた、アダムス・ファミリー。
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最近になって思い出した。 人にも翼はある、鳥の翼とは違うけど。 空は飛ばない、代わりに宇宙を飛ぶ。 記憶ってガラスの靴で新しい今日へ飛ぶ。 今日どころか――世界を飛び越えてしまう。