2021年1月18日月曜日

業を修める


 業を修める。
 それは、いいことなのでしょうか?
 よくない行いを業と呼ぶのなら。
 学業も修業も卒業も。
 賞賛されることではないのかもしれない。  





テツガクちゃん
 業を修める。
 それは、本当にいいことなのでしょうか?

 自業自得でいう、自業ですよね?
 よくない行いを業と呼ぶのなら。
 
 なぜ、その業を修めるのでしょうか?


肯定
 たしかにね。
 なぜ、よくない行い、業を修めるんだろうね?

 学業、修業、卒業。
 それらを、ほんの少しだけ違う視点で覗くと。
 違う景色が見えるね。

 学ぶことが業なのか?
 修めることが業なのか?
 卒わることが業なのか?

 その疑問に、『それは違う』と言い切れないのが。
 また面白くて。


テツガクちゃん
 違うとは言い切れないのですか!?
 私は違う、と言い切れる。
 そう思っていました。

 
肯定
 とんでもない。
 例えば、学業だよ。

 ありもしない幻を覚えさせられ。
 ありもしない答えを探させられ。
 ありもしない正解を教え込まされ。

 その先で、様々な幻で人を評価する業を覚える。
 さらに、その幻を活用して。
 創造神になったつもりで、何かを築いていく。
 独裁者気取りで、隣にいる違う存在を排除しながら。

 これを業ではない、と言い切れる。
 そんな素直さは僕にはないよ。
 僕って偏屈に正直だからさ。


テツガクちゃん
 そう言われると……。
 私もそういう素直さは持っていないですね。
 
 私も肯定さんも、お互い正直な偏屈者ですね。
 それはそれで、いなせなまっしぐらですね。

 学業の中に業を見てしまう。
 その視点は、本当に偏屈なのでしょうか?
 
 私にはその答えが見えません。
 ただ、答えがわからない、という疑問が見えている。
 そんな『Mr.ジョーンズ』です。


肯定
 僕にも見えないよ。
 でも、それでいいのかもしれない、と思っている。
 同じ『Mr.ジョーンズ』だよ、僕もね。

 そんな『Mr.ジョーンズ』だから。
 気づけることもあって。
 そういう『学び』という業なら。
 戒めず積み重ねたいね。
 天を歪ませてしまうくらいにさ。

 修める必要もなく。
 卒えることもなく。
 学を知ろうとする、素人な『Mr.ジョーンズ』の学びの旅。
 
 その旅路は業の道。
 深く、重く、強く、煮やして、積んで、背負う。
 何が悪かったのか、何を戒めたかったのか。
 それが、わからなくなっていく道。

 そのまま、業の上を歩いていく。
 いつもと変わらない速度で。

 あなたはどうですか?
 まだ、業の形が見えていますか?
 
 もし、ステキな業が見えているのなら。
 その偉く大きく、偉大な視点で。
 様々な景色を見てください。

 何かの違いで、人を分けたりする。
 神様的な何かを気取らず。
 新しい学を描いてみてください。
 もう古臭い業を修め、卒えた、業がつかない学です。
 
 あなたなら、どんな学を描きますか?



  
それでは、また次の機会にお会いしましょう。











0 件のコメント:

コメントを投稿

グリフィン理論

  いつだって10月だし11月だし3月なんだ。  このグリフィンさんの教えは贈り物。  誰だってジェイソン・ボーンだしジェームズ・エドワーズ。  ロバート・アンジャーでローン・レンジャー。  そして、ネオでもある……忘れているだけで。