2022年3月8日火曜日

見えているけど、表現する術を知らない


 もし、子供なんて存在がいるとしたら。
 見えているけど、表現をする術を知らない。
 もし、大人なんて存在がいるとしたら。
 いろんな術を知っているけど、見失っている。
 たぶん、おそらく、きっと。





テツガクちゃん
 もし、子供という存在がいるとしたら。
 見えているけど、表現する術を知らない。
 それが、子供なのかもしれません。

 子供は気づかないだろう、と思っていても。
 実は、見透かされていたり。

 ただ、それをあらわせないだけで。


肯定
 たしかにね。

 もし、子供なんて存在がいるとしたら。
 大人には見えない、見失ってしまった。
 そういう本質が見えている。

 だけど、それを表現する術をまだ知らない。
 それが子供かも。

 成長と共に表現する術は得たけど。
 本質を見抜く目が曇ってしまったり。


テツガクちゃん
 それは大変ですね。
 曇ってしまった窓を磨きましょう!

 きっと、そうすれば、また見えますよ。
 本質は消えたりはしないのですから。


肯定
 そうだね、と言いたいけど……。
 どうやって曇ってしまった窓。
 それを磨けばいいのでしょうかね?

 本質を見抜く目。
 それは手放したくない、窓だよ。

 だけど、曇っていない。
 そんな自信はないよ。


テツガクちゃん
 相変わらず、面白いことを仰いますね。

 大丈夫です。
 自信よりも強い猜疑心があるのなら。
 まだ、手放してはいないはずです。

 きっと、知らない世界を覗けば。
 簡単に見抜けるはずです。

 例えば、英語です。 
 英語を知らなくても。
 雰囲気で相手の言っていることに気づいたりする。

 きっと、子供もそうなんですよ。
 細かいことや難しいことを知らないから。
 本質という全体を見ることができる。

 ハイビジョン並みにクリアな画質であれば。
 全てを綺麗に見ることができます。

 ですが、ぼんやりとしたシルエットは。
 意外にもブラウン管の方が見えたり。

 そのことを。
 ほんの少し忘れてしまうだけですよ。

 必ずしも、全てが見えること。
 それがいいとは限らない、という簡単な当たり前に。
 

肯定
 なるほど、そういうことね。
 さすが、ガクちゃん。

 それなら、思い出とかもそうだね。
 見えない心の影が映す
像とテレビが映す映像。
 同じシーンでも、見えない影像の方がよかったり。

 時代と共にクリアになっていく。
 表現の手段がどんどん増えていく。
 だけど、本質というシルエットは変わらず。
 いつも、ぼんやりとしている。

 本質はぼんやりとしているから。
 本質なのかもしれないね。
 永遠に、はっきりとは映らないシルエット。

 心の奥の方にある、想い出のような。
 そう、中想青帰のような。


テツガクちゃん
 そんな感じです。

 クリアで繊細な世界を見ながら。
 ぼんやりとしたシルエットの世界を覗く。
 明らかな映像だけでは疲れてしまいます。

 たまには、ブラウン管の向こう側。
 そのシルエットを覗きましょう。
 ブルーハーツにも会えるかもしれません。

 本質は明らかになり難い。
 ぼんやりの向こう側のシルエット。

 あなたはその世界で。
 どんな本質と出会うのでしょうか?
 その旅の物語。
 それは、ぼんやりとした秘密かもしれませんね。




それでは、また次の機会にお会いしましょう。










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無関心は希望

 好きの反対は無関心。  そんなたわ言、誰が言ったのか知らないが。   今の私からすれば無関心は希望。  今まで気づけなかった、その未知は。  愛しの故郷、待ちきれない今は夢の今。