2022年4月12日火曜日

愚かな道を求める


 愚かな道を求める。
 それは、求道者なのか愚道者なのか。
 そもそも、道を求めるのが愚かなのか。
 どの道を選んでも愚かならば。
 愚かな未知の道を選ぶ、その方が面白そう。





テツガクちゃん
 愚かな道を求める。
 それは求道者なのか、愚道者なのか。

 そんな疑問と出会ってしまいました。
 肯定さんはどちらだと思いますか?


肯定
 ガクちゃんは訊かなくても。
 気づいている気がするけど。
 それに答えるのなら。
 今の僕の答えは、『存在と同時に存在しない』だよ。

 つまり、求道者でもあって、愚道者でもある。
 そう、愚かな道を求め進む、そんな者ですよ。

 賢いFF圧倒的有利な世界に。
 迷い込んでしまった、僕らは愚かなFR。
 特異の愚かさは絶好調。


テツガクちゃん
 気づいていることでも。
 改めて、訊ねることが大切なんですよ。

 愚かな道を求め進む者ですか……。
 はっ、今、私も私の答えに出会えました! 

 道を求めることが『グドウ』なら。
 愚かな道も同じ『グドウ』です。

 何かの道を求めること。
 それ自体が愚かなことに映る。
 そんな窓があるのかもしれません。


肯定
 なるほど、そんな窓もあるのかも。
 例えば、定めの城から抜け出せない住人とか。
 城から一歩も出れず、部屋の窓から外を眺める。

 道を求め、城を抜け出すのは愚か者だ。
 そんな定めに囚われる。
 だけど、そんな城の中で腐っていくのも同じ愚かなこと。

 どの道、愚かな道には変わりはないのかも。
 城を抜け出すのも、城に留まるのも。


テツガクちゃん
 そうですね。
 どちらもステーキな愚かな道です。

 気づいた時には、目の前の未知に道があった。
 その愚かに見える道へ進んでみたい、と無意識に思う。

 『やってみたい』という気持ちの前では。
 どちらの『グドウ』もどうでもいいことです。
 それは、トタン屋根の上に投げてしまいましょう。
 どの未知を選んでも、同じ『グドウ』ですから。

 ですが、できることなら、愚かな未知の方が嬉しい。
 そっちの方が、なんとなく面白そうな気がします。
 そんな気持ち、伝わるでしょうか?

 あなたは、どんな『グドウ』と出会いましたか?
 どんな『グドウ』もステキなものです。

 賢いFFでも時には愚かなふりをして。
 何かの未知の道を求める。

 そんな唯一無二の未知の物語は。
 白紙のページが、果てしなく広がっています。
 ちょっと恐くて怖いかもしれませんが。

 賢いFFじゃないですか、大丈夫ですよ。
 得意の賢さで、FF仕様のこの世の未知の上を走れます。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。













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無関心は希望

 好きの反対は無関心。  そんなたわ言、誰が言ったのか知らないが。   今の私からすれば無関心は希望。  今まで気づけなかった、その未知は。  愛しの故郷、待ちきれない今は夢の今。